世界で一番・・・<第9話>






初めてその姿を目にした時、何故か鼓動が一瞬大きく跳ね上がった。
今まで見て来た中で、一番綺麗な男性だった。
けれど憐憫な印象の彼は悲しみに顔を曇らせていて、今にも蜃気楼のように淡く消えてしまいそうだ。

綺麗な―――顔

レッドと同じ・・・赤い目―――

だけど何故そんなにも悲しそうなの?

今にも泣きそうな顔をしたあなた―――

まるでレッドを見ているみたい。

あなたは、誰?

レッド?

あなたは誰?

レッド?

あなたは本当に・・・。


―――『シャル』


あなたの声が好きよ。
あなたの目が好きよ。
あなたの心が好きよ。

だって―――・・・




**********





「『世界で一番美しいモノ』を見つけたら、レッドはどうするの?」


シャルロットの問いかけに、レッドは答えに行き詰ったように黙ってしまう。
そんな事は何度も考えたが、答えが出ぬまま。

「世界で一番美しいモノなんて、案外近いところにあるかもしれないわ?」
「・・・そうだな。そうかもしれない」

レッドは珍しく、納得したように肯定してみせた。
なんとなく、レッドにはそれを同感出来る理由があったのだ。

「けれど、『レッド』の名前をつけたのは誰なの?」
「分らないんだ。いつの間にか俺はレッドだと思い込んでいたからな・・・」

皮肉に顔を歪ませ、しかしどこか寂しげに笑むその姿はなんと弱々しく見える事か・・・。
レッド―――赤は嫌われの象徴。

やはり―――世界に嫌われているんだ
嫌われているから、名前だってレッド(赤)。

姿も赤で、目の色も赤―――

しかしこの目の色は元から赤だった気がする。

元から―――?

そもそも『元』とはなんだろう?
目を細め、行き先も分らなくなったように途方に暮れた。

「ねぇ、レッド。私と、約束して欲しいの」

星空と月の下 ―――水辺に写る青年を、膝を抱え込むように座っていたシャルロットは一心に見つめる。
しかし今はもう青年はシャルロットに興味が無いとでも言うように、横顔を晒していた。―――ただ、その眼がとても優しげだった。
レッドもシャルロットの隣に座り、その長い首を回してシャルロットをその赤い眼でじっと見ている。

「・・・。何を?」

その問いかけに応じたのか、シャルロットは青年から目を外して、レッドを見上げた。
今まで見た事が無い真摯な眼差しが、瞳が少し揺れている。
少しばかり緊張を孕むように顔を強張らせ、頑なな決意を込めた声音さえも小さい―――それでも、しっかりと。




「―――人を、もう傷つけないで」




沈黙が、生じる。
二人は見つめ合ったまま微動だすらしない。
ただ無言のまま。
その重い雰囲気を壊すように、レッドは諦めにも似た息をついた。
しかし、その顔に浮かんでいたのは、どこか『らしさ』が伺える穏やかな微笑み。

「・・・何が起きてもか?」
「―――ええ。レッドにもう誰かを殺して欲しくないの」

シャルロットにそう言われてしまえば、レッドが何も言えない事はもはや目に見えている。
言えないからこそ、何故ここまで落ちてしまったのだろうと自嘲しながら、レッドは頷いてみせた。

「―――分った。約束しよう。絶対に人は殺さないし、傷つけない。・・・これでいいか?」

自分のプライドを捨てたくない気持ちから、レッドは不可抵抗力だと投げやりな口調で言ったのだが、それでもシャルロットの顔は本当に幸せそうに綻んだ。
彼女の笑顔はどうしてこんなにも綺麗なのか。

「レッドっ!嬉しいわっ!」
「だぁああっ!抱きつくな!」

レッドは恥ずかしいような照れくさいような想いから体を引くが、それに構わず一周りも二周りも大きいレッドの腕にしがみ付く。
もちろんシャルロットが焼けどする事はない。
むしろ、その暖かな体温を分かち合うように二人は寄り添い合っていた。(その事にレッドは気付いていなかったが・・・)

「レッドっ!大好きよっ!」

「言うなっ!」

「レッドっ!大嫌いよっ!」

「それも止めろ・・・っ!」

天邪鬼ねぇと、それでも綻んでいるシャルロットを見ていると調子が狂ってしまう。
ふと、レッドは水辺に写った二人を目にした。
少し嬉しそうに、そして困ったような表情をした美麗の青年がレッドを見つめ、そしてその腕にはシャルロットが寄り添い、嬉しそうに微笑んでいる。
青年はまるでレッドに「しょうがないよな」と同情しているように見えた。
けれど青年の穏やかな表情とは裏腹に、咲きかけた花が枯れるような虚脱感に襲われた。


自然な―――二人・・・


レッドは目を細めれば、青年の顔も悲しげに歪んだ。
お前は嫌いだと、内心で呟きながらもレッドはお似合いなんだろうと諦めにも似た息をつく。

―――もしも・・・あの姿だったら・・・と

そんな望みが生まれた事に、レッドは目を見開いた。

―――望んだ・・・?

今自分は望んだのか?


「レッド・・・?」


レッドは我に返ったように水辺からシャルロットに視線を戻した。
不思議そうな、そしてあどけない表情がレッドを見上げてくる。


―――人であれば・・・


そう仮定すれば、嫌でも思い出されるのは、男がシャルロットの唇に触れていた光景。
やはり何度思い出しても、初めて知ったような衝撃に心が痛んだ。

あれは盗賊の気まぐれな遊戯か?


それとも―――?


「・・・お前、嫌がってなかったな?」

嫌がらないシャルロットの顔を思い出せば、もしかしたらあの男が好きになったのかもしれないと、まさかと思いながらも、そう思ってしまう。
レッドの眼差しを受けて、シャルロットは話を理解していないように首を傾げた。

「何の事?」
「・・・。お前・・・その」

いいずらい―――

とてつもなくいいずらいし、恥ずかしい。
今更ながらにその事を自覚し、レッドはしどろもどろに慌てふためいた。

「だからだ・・・っ!あの男に連れ去られて、それで・・・俺が来ただろっ!?その時お前、あれだったじゃないか!」
「あれ?―――あれって何?」

尚も不思議そうに目を丸くしたまま首を傾げる。
その綺麗な顔に見つめられ、レッドだってもう限界だ。


―――分れよ・・・っ!


レッドはついに叫ぶ。

「あの男とキスしていただろっ!?『邪魔したか?』って聞いてるんだっ!」

言った瞬間、このままどこかへ飛び去りたい羞恥にそっぽを向いてしまう。
ああ、なんて女々しい事を言っているのだ!!
本来ならば、野原の周りを全速で転がりたいほど恥ずかったのだが、「あら?」との陽気な声がそれをなんとか止めてくれる。

「唇に何かが触れると何かが起こるの?」
「いや・・・そういう訳じゃ―――」
「私―――何度もキスをした事があるけれど、別に変わった事なんて一つも無かったわ」
「まぁ。確かに何度キスしたって何かが変わる・・・。・・・」

俯き加減のまま話に流されかけていたが、呟いているうちに理解したレッドは血相を変えるように叫びの声を上げた。


「―――なんだって!?」


―――何度も・・・何度も・・・何度・・・度・・・ど・・・


言霊するシャルロットの衝撃発言。
もうこのまま泉に飛び込んでしまいたい心境にレッドは呆然とした。
レッドの過激な妄想を変える様に、シャルロットは少し考えるように上の空になりながら言葉を続ける。

「小さい頃、よくお母様のお休みのキスを頂いたわ。お気に入りにだったぬいぐるみにも同じ事をしたし・・・。他にも神様にお祈りする時にその銅像にキスもしたわ。他にも大好きな犬や馬にお休みのキスもしたし・・・他にも色々と―――」

だから、とシャルロットは不思議そうに目を丸くして、こう言ってしまう。

「唇が触れ合う行為は挨拶代わりの何者でもないと思うわ」

「・・・。・・・。・・・そうか・・・」

目を点にして、レッドはそう答えるのみだ。
ちょっと不吉な妄想・・・いや―――考えと違う回答に安堵の息をつきつつ、少しばかり脱力したレッドの様子に、シャルロットは面白そうに顔を綻ばせてこう言う。

「何故そんな事を気にしているの?」
「別に・・・っ!」

ぷいとそっぽを向いて、見上げてくるシャルロットから視線を逸らす。

最初から顔が赤くて良かった・・・。

もしも人のように肌色であれば、その顔はうっすらと桃色を浮べていただろう。

「いや。ただ単にお前が嫌がった様子を見せていなかったから、盗賊にすら浮気を吹っかける浮気性の最悪女なんだと驚いただけだっ!」




ぬぁあああああ・・・っ!




出た出た皮肉口―――

こればかりはもう本能のように、どうしても傷つけてしまう言葉が出てしまう。
内心で頭を抱えて悩んでいる間に、シャルロットは瞬きを何度か繰り返し驚きの表情を見せた。


「あら?キス程度にそこまで動揺するなんて・・・」
「動揺なんてしてねぇよ!!」

なんとか反撃してやろうと思うのだが、動揺までは隠せなかった。
魚のように口をぱくぱくと上下させていれば、シャルロットはまるで微笑ましいと言わんばかりに笑顔を深くする。

「レッドの新しい一面を発見したわっ!レッドは純粋なのね。可愛らしい人だわ」
「・・・人じゃなくてドラゴンだ・・・」
「あら?でも心があるわ?心があれば人でもドラゴンでも同じよっ」
「・・・。お前はやっぱり、御めでたい奴だよ」

レッドがシャルロットを殴る事は無くなった。
言葉にも棘は無く、穏やかな時だけが流れていく。
レッドはふと考えた。

こういう人生も、悪くないと―――

醜い姿であっても、醜い心であっても、ただ隣に彼女がいてくれれば・・・
しかし即座にその考えを振り払った。
胸に沸き起こる暖かな気持ちを自覚しながらも、許されぬ想いに胸が苦しくなる。
いつか訪れる別れの時―――いつかは返さなければならない、穢れ無き王女は嫁いでいくのだろう。

それでも・・・―――

その時は快く帰らせてあげよう。

例え自分の元を去り、離れ離れになってしまっても―――

レッドは本来の目的すらも忘れてしまったように、ようやく世界に向かって微笑みかけた。

―――案外、好きになれそうだ・・・




***********





宙に大きく剣が回転して舞う。
それはそのまま剣先から床に落ちた。―――傍には、その剣の持ち主である騎士が膝をついていた。

「―――俺の勝ちだ」

大理石で固めらた決闘場に彼の一言は大きく響く。
アーロンは練習用の剣先を下ろして、ゆっくりと後ろを振り返る。
円形に構成された大広間は王と謁見する場の一つで、主に騎士達の誓いの場としても使用される神聖な場所でもあった。
数多くの騎士達がここで膝をついて忠誠を誓い―――けれど今は騎士と呼ばれる男達が床にひれ伏して倒れている。
真剣勝負ではないとはいえ、本来負けてはならない騎士達がたかがイージェスト<奈落者>に敗退してしまったのだ。

「貴様は一体・・・っ」

思わずそう呟いたのは、アーロンと剣を交えた最後の一人だった。
崩れ落ちるものかと辛うじて片膝をつき、打ち身を負った利き手を掴んでいた。
傍に落ちているのは、決して離すまいと握っていた剣だ。

―――騎士は決して剣だけは死んでも手放してはいけない

それを教訓に生きて来た彼らの自信は、アーロンによって粉々に砕かれてしまった。
肉体のダメージよりも精神的なダメージが強く、その騎士は悔しそうにアーロンを睥睨し、歯を食いしばっている。
若干自分が負けた事が信じられないとでもいうように、絶対の自信と不屈の精神を誇りとするその騎士は瞳孔を揺らした。


「な・・・なんと・・・!!」


それを傍観していた大臣達は玉座に座った王の横に連なって息を呑む。
そしてまだ年若く見える国王にしてシャルロットの父―――チャールズ4世もまた驚きを隠せないように茫然としていた。
そばには今回アーロンをここへ通したアゼフが当然の結果だと言わんばかりに、しかしどこか納得できていないように顔をしかめていた。
アーロンと王を遮るのは数段の階段のみで、その周りの兵士達など今の戦いからして太刀打ちできるような相手では無い。
だからこそ、アーロンをこの場へ連れて来た張本人―――第4部隊将軍・アゼフは気を張り詰めさせていた。
もしもアーロンが国王に向かって剣を振り上げたとしたら、彼を止められるものなど例え自分が犠牲となっても止められるものではないと知っているからである。

おかげ様で闘ってもいないというのに、冷汗が出る始末だ。

しかしアーロンはアゼフの不安とは裏腹に、その場で膝をついて敬意を払うように頭を下げた。


「―――お願いいたします。シャルロット様を救出する軍隊をこの私に・・・」


沈黙が、生じた。

チャールズ4世が逡巡するように、無言になったのだ。
周りもむろん、国王が一体どんな答えを出すのかをじっと待っていた。
その時の空気はなんとも重々しく、誰かが小さいく息を飲む。
―――しかしその空気が、チャールズ四世の笑みによって瞬く間に軽くなった。

「ははぁ〜なるほどな。アゼフ、お前が有無を言わせないばかりか、己から辞退してしまった訳はこれを想定しての事か・・・?なるほど。予想を遥かに凌ぐ結果に、正直驚いたぞ。少し意地悪く、我が国の隋とも言える騎士達に実力の差を教えてやろうとしたのだがな・・・。生憎その逆の結果となってしまったらしい。・・・お主はそうとう腕が立つようだな」

チャールズ4世はアゼフお墨付きにして、『ドラゴン退治のために軍隊を』と頼むアーロンの力を試そうと、8人の凄腕騎士を相手にさせた。
最初こそ勝てるはずが無いと高を括っていたが、やらしてみればアーロンは恐ろしく強かったのだ。
最初の頃の印象を跳ね返すような―――そもそもだらしない印象を兼ねた容姿は同じに見えても、まるで別人を見ているような心地に誰もが違和感を覚えている。

「―――確かにわしはお主に一つ約束をした」
「はい」
「しかし、お主の要望は、妥当ではない。相手は忌み嫌われる赤を纏ったレッドドラゴンだ。奴を打倒するなんぞ、狂人の類だとしか思えん。我らのような弱き人間の力では到底勝てるはずもないだろうに。だからこそ、ここは力での解決ではなく、相手の交渉に応じるべき―――」
「恐れながらお尋ねします」

凛とした、アーロンの声が大広間に響いた。
頭を下げたまま、アーロンは言う。


「―――『世界で一番美しいモノ』とはなんですか?・・・それはどこにあるとおっしゃるのでしょう?」


チャールズ4世は、行き詰ったように黙り込む。
苦渋に顔を歪ませ、考えるように息をつく。

―――そんな事、例え王であっても分るはずが無いのだ

大臣達も答えが見つからない現状に口を出せず、ただ静寂だけが空間を支配する。
しかし再び、アーロンの声が静かにそれを切り裂いた。


「―――あのドラゴンは、シャルロット様に『恋心』を抱いていました」
「なん・・・だと・・・っ!?」

王の、静かな怒りを煮やした驚きの声が上がる。
同時にその場にざわめきが生じ、「やはり」と納得する者もいた。
アーロンは続けた。

「・・・あの忌々しきドラゴンはシャルロット様を永遠に手放さないつもりなのでしょう。だからこそ、交渉において難題を持ちかけた・・・」
「―――故に、お主は軍隊を出してシャルロットを救い出そうとしている訳か・・・」

やや躊躇った様子の王を説得するために、アーロンは尚も口を出した。

「もしもこれが失敗に終われば、この命しかありませんが、死刑にでも何でも罰を受ける覚悟は出来ています」
「・・・お主はただの盗賊であろう?何故そこまでやってくれようとしている?地位か?名誉か?それとも金が欲しいのか?」

アーロンの顔は大理石に床に向けたままで、服装はこの場に適さないほど泥に塗れ、荒れ果てている。
だが、薄汚い格好であっても、その敬い方はまるで騎士のそれ。
最初の頃こそ軽率な印象に、無礼だと大臣達は顔を真っ赤にして叫んでいたが、今ではそんな無礼な振る舞いなど見当たらない。
だからこそ、王は何故ここまでアーロンが改心したのかと首を傾げる。
王の率直な疑問に、アーロンはやや苦笑気味に答えた。

「―――お恥ずかしい話。俺は・・・いや―――私はかつて隣国に仕える騎士でした。ある事情が絡んで今のような醜態を晒すような愚人になったのは、ご覧の通り察しいただけたでしょう。本音を言えば・・・懺悔する気持ちでこの場で白状しますと、私は最初こそシャルロット様を利用し、恐れ多くも自由を得ようと考えておりました」

ざわめきが大きくなる。
しかしそれでもチャールズ4世だけはただじっと耳を傾けるように無言だった。

「あの王女様は、お美しい。―――その身も心も、全て。だからこそ、思ったのです。ドラゴンの元で傷つけられているご不運なシャルロット様の、お労しいお姿。それでも、こんな私の命を・・・その身を張ってまでもお助けくださろうとしたあの優しさに私は心打たれたのです。私はシャルロット様とお約束を致しました。『救う』と。だからこそ、私は命を掛けてでも、あのドラゴンを倒す必要があるのです。これは私が手放し、失った誇りを取り戻すチャンスとして、神がお与えになってくださったのかもしれない。心変わりの機会と思って、私は全てを掛ける覚悟です」

いつの間にかその場には再び水を打ったように静寂が訪れていた。
少し和ませたようなチャールズ4世の声が、威徳に満ちたその声で言う。


「―――表を上げよ」


その声に答えるように、アーロンは顔を上げた。
決意に固まった漆黒の瞳に揺るぎは無く、ただ真剣な眼差しをチャールズ4世は見下ろす。

「・・・お主が騎士だった頃の真名は・・・?」





「『エデル=レドリスト・ナイツ=アーロン=ラデュアーツ=ブルーローズ』―――今はただのアーロンですが、それが私の真名でした」





長い名前だけ、その人の栄光ある経歴やその職業・家柄を察し出来る。
だからこそ、周りは息を呑んで、目の前にいる落ちぶれた騎士に目を見張った。

「隣国『レドリスト』王国の騎士団『ブルーローズ』に仕える騎士<エデル>の中の騎士<ナイツ>―――アーロン・ラデュアーツ・・・。『ラデュアーツ』家と言えば王族の血筋を引く名門大貴族ではないか・・・っ!我が騎士団すらも敬うほどのブルーローズ騎士団に配属されていたとなれば、そこまで強い事にも納得出来るが・・・っ!」

―――しかし・・・


「アゼフ。真か」
「然様でございます。私も、最初それを知った際はここにいる者達とまったく同じく。驚き、戸惑い、そして―――」

これ以上言うのも苦しい。
心底ブルーローズを敬愛していたアゼフは―――特に、アーロンの父親を尊敬していた彼にとっては心境が複雑だった。
チャールズ4世はただアーロンの薄汚れた顔を見つめる。
片目は古傷を負い、僅かに髭も生やし、頬は痩せこけ、髪も無造作に伸びていた。
とてもじゃないが、そんな名誉ある職業や家柄―――そして騎士の中の騎士と歌われるほど、栄光に輝いていた人物だったとは思えない。


―――何故、イージェスト<奈落者>にまで落ちぶれた・・・っ!?


それが大臣達だけでなく、王の一番肝を突かれた所なのだろう。
ただ驚きに声も出せず、チャールズ4世など思わず席から腰を浮かせている状態だ。
構わず、アーロンは言った。

「私に、軍隊を―――。シャルロット様は私が必ず・・・必ずこの手で救い出します。それが例え相手が赤(嫌われにして最強)を身に纏ったドラゴンであっても・・・っ!」

憎悪を秘めた漆黒の瞳―――アーロンの目つきが険しくなった。





**********





レッドの尾びれを枕に、シャルロットは寝息を立てて健やかな眠りについていた。
よほど疲れたのだろう。
そもそも無理も無い。

この自分が散々振り回し、傷つけ、泣かせたのだから―――

罪悪感にレッドの瞼が僅かに下りた。
犬のようにお座りをしていたレッドは、水辺の方向に顔を傾けるシャルロットを見下ろす。



―――ごめん・・・



素直に本人の前でそれが言えればいい。
だけど、レッドにはそれが出来なかった。
何故出来ないのか分らない。
言うのはこれが初めてではないのに、何かが邪魔して、それが言えないのだ。
それがどうしようもなく、もどかしい。

自分が悪いと分っているのに、それでも謝れない―――

「・・・やっぱり・・・嫌いだ」

そんな情けない自分が、嫌いだ。


大嫌いだ―――


レッドは息をついて、寒がるように皺を寄せたシャルロットの顔を見て、どうしようかと考えた。
今は乾いたと言っても、冬が終わったばかりのこの気温では寒いのも当たり前だ。
本当にどうしようかと思案している内に、いつも使っている洞窟に戻ろうと考えた。

あそこなら風は吹かないし、安全だし、安心出来る―――

そう思ってレッドは、シャルロットの小さな体をその大きな両手で包み込むように掬い上げた。

こうやって、触れる事が出来る―――

思わず、笑みが零れた。
二本足で立ったまま、レッドは水辺に写った二人を再度見つめる。
そこには青年が少し悲しげに微笑みながらも、シャルロットをその細い腕で抱え上げていた。
青年の煌びやかな白の服が、風に流され舞っているのを眺めながらレッドは目を閉じる。


分っている。


どう考えたってこの青年が自分だという事は分っていた。
だって自分は人間だったと知っているのだから、何がどうなってこうなったまでかは分らないが、少なくともこの青年は自分だ。
だからこそ思う。


何故こんな醜い姿に―――


綺麗な顔をしていた青年。しかし現実ではこんなにも恐ろしいドラゴンなのだ。
それでも―――醜い化け物の姿であってもシャルロットは言ってくれる。


『大好き』と―――


そう言ってもらえるだけで、嫌いだった自分が許せるようになってきた。
故に、今では水面を叩いて美麗の青年を消す事はしない。


それでも―――


レッドは目を静かに開いた。
もう一度、自然な形に見える二人を見下ろし、レッドは切なげに呟く。



「―――もしも俺が、あの姿だったら・・・お前は・・・」



青年の口も、レッドと同じように小さく動く。
その美麗の顔が俯いて長い前髪に隠れ、耐え忍ぶように唇をきつく噛み締める。

―――あの姿だったら・・・

レッドは首を振って、その『希望』を否定する。
シャルロットは『大好き』と言ってくれた。
ならばそれで十分じゃないか。
大好き以上を望んではいけない。
望めば―――それは欲望へと変わり、純粋な想いが穢れていってしまうような気がして怖いし、絶望になって苦しむのも嫌だ。

そして何よりも―――

「・・・っ!」

突然と胸焼けにも似た熱さを感じ、吐き気に襲われる。
しかしこの経験は一度や二度ではない。
レッドは深く呼吸を繰り返す。
この青年になれればと願う度―――襲ってくるのは『痛み』と『苦しみ』。
激しい悪夢を見ていたような―――しかしどんな夢を見ていたのか分らないような恐怖が襲い掛かかるのだ。

誰かが憎んでいる。
誰かが陰口を叩き、誰かが軽蔑の眼差しを向けて来た。
差別と分るその差を思い知らされ、こちらを指差しあざ笑う。

みんなみんな敵―――

人が、世界が自分を否定する。

その対象は、間違いなく―――


(止めろ・・・っ!)


胸を捻り潰されるような悲しみと怒りが襲い掛かり、瘴気に飲まれそうなのをじっと耐える。
これは『記憶』というものなのだろうか?
ただ、恐怖心だけがぐるぐると脳裏を駆け回り、まるでそれを望むなと戒めるためにあるような光景だ。
レッドはシャルロットに体の振動を伝えないように気を配りつつも、襲い掛かる恐怖の波に眉間に皺を寄せた。
鼓動がバクバクと大きく波打つ。

知っている。
分っている。
この青年は―――嫌われていた。


だからそんな青年を自分は嫌う。

嫌われるような奴は、嫌う―――

徹底的に逃げ、自分に被害が無いように避けている感覚に似ていた。
だからレッドは、青年になりたいとは思えなくなってしまう。
嫌われるような青年を、自分だとは認めたくなかったのだ。


けれど、その肌の色も目の色も名前までも『赤』―――


赤は、最強の名と同時に嫌われの象徴。

赤は―――『レッド』は『嫌い』で出来ている―――

(ああ・・・。醜い・・・。俺は醜いんだ。全てが赤になるほど・・・嫌われている・・・)
そう自覚するたびに自己嫌悪の念が自分を戒める。

シャルロットに、自分は似合わないと―――

望んではいけないのか?

傍にいるだけじゃなく、その心も―――

(駄目だ・・・っ!シャルはっ!王子様と結婚するっ!こんな穢れたドラゴンなど・・・っ!シャルは返すんだっ!本来いるべきところへ・・・っ!シャルが幸せになるように―――)
シャルロットの言葉を、やはり思い出してしまう。


『あなたの赤い目―――綺麗』


『嫌い』を否定してくれたシャルロット。
世界に好かれた少女に『好き』と言われたみたいだ。


好きだと―――


レッドはようやく治まった胸の痛みに息をつき、見下ろしたまま小さな声が切なげに囁いた。




「君を―――愛してしまいそうだ」




レッドの表情は硬いまま。

それでも―――

水辺に写った青年は一本に結わったその髪を揺らし、長い裾さえも風が吹いているように流れる中――― 一心に見つめる赤目がシャルロットを見下ろす。
だが、震える目を隠すように瞑ってから、悔しげに歯を食い縛った。


―――世界で一番美しい『者』・・・


シャルロットの言う通り、こんなに近くにあったんだ。
見つけたよ。見つけたけど―――・・・

―――だけど

見つけて・・・それで一体どうなるというんだ?






推敲更新日

2008年10月05日

メールフォーム

Powered by NINJA TOOLS