世界で一番・・・<第7話>






好き・・・嫌い・・・好き・・・嫌い・・・―――

二つに分けられた差別の言葉。
少女は世界を美しいと言う。

そして忌み嫌われる自分の両目の赤にさえ―――

「・・・この目が・・・『綺麗』だってさ・・・」

レッドの力ない声が、青々と波間に揺れる美麗の青年に向かって呟いた。
まるでレッドの心情を映し出したように、その青年の頬を光り輝くモノが流れて消えていく。
それでも、弱弱しく微笑んで見せている様はとても痛々しくて。
それだけが唯一の幸せだと、まるでそう言っているかのように・・・。

―――あなたの目は綺麗ね?

シャルロットは、目を輝かせてそう言ってくれた。
それはまるで―――『好き』と言っているように聞こえてしまう。


それが、怖い。


『世界は綺麗ね』

世界を美しいと言う。綺麗だと、真っ直ぐな瞳を向けて、純真な笑顔を零してそう言うのだ。
もしも・・・世界の全てが美しいと言う少女に、唯一自分だけが『醜い』と言われてしまえば・・・?

全てを愛していながら、この醜い自分だけが『嫌い』と言われてしまえば―――?

まるで孤独を味わうように、取り残されてしまったように、それが怖くなっていた。
最初の頃は、全てが綺麗なシャルロットに嫉妬心から憎しみにも似た気持ちを抱いていたが、今ではそんなモノは存在しない。
レッドは水を湛える泉の傍で、犬で言えばお座りの状態で辺りの森を見渡す。
お世辞にも綺麗だとは言えない森さえも、太陽の光を弾く木の葉をシャルロットは綺麗だと言った。
レッドはそれを否定し、目を細めながら内心で呟く。


世界は醜い―――


そう思えば、自分が醜いのも納得出来る。

綺麗と汚い。
好きと嫌い。

二つの言葉は互いに交差し、レッドを尚も苦しめる。
シャルロットが綺麗だという度に『好き』と聞こえるのが、怖い。
好きと言われ、大嫌いと、いつか離れてしまうのが怖い。
好きが嫌いになってしまう事が、レッドには恐ろしいのだ。

ならば最初から―――この身を目に留める事も、萎れたようなこの声を聞くこともしないでほしいのだ

切なげにレッドがそう望めば、水面に浮かんだ青年の顔もまた悲しげに歪んだ。
その顔を見るのが嫌で、レッドは水面を叩いてしまう。
ばしゃりと、ただ冷たい音が静寂に響き、その青年の姿もまたレッドの心情を映し出すように波を作ってかき消されてしまった。
それを眺めながら、大きく揺れる鋭い瞳孔が瞼に隠れる。

「綺麗だなんて、なんでそんな事を平然と言うんだ・・・っ!!ふざけるな・・・!!」

世界は醜いと思わせて欲しい。
誰かを好きだと思わせないで欲しい。

―――そうでなければ・・・

瞼を上げて、蒼穹の青空を眩しそうにレッドは見上げた。

ただ青いだけの空―――

なのに、シャルロットが『綺麗』だと言ったのを思い出す度、美しいと思ってしまう。
その心の変化に戸惑いながら、希望が絶望へと変わったショックで、レッドは癒えぬ傷にその場を動く事はしない。
レッドが脳裏に浮かべるその光景は、やはり男とシャルロットが唇を重ねていた姿だけ。
それを思い出す度に、心がこんなにも痛んでいる。
レッドはそれを和らげたい気持ちから、はき捨てるように呟いた。

「シャル・・・。俺はお前が大嫌いだ・・・っ!」


**********


「あら?困ったわ・・・。私・・・道に迷ったのかしら・・・?」

シャルロットは辺りを見渡しながら、レッドがいるであろう暗闇に支配された森を、探索するように歩いていた。
太陽の光はその木々によって遮られ、これまた不気味な鳥が声を嗄らしたように鳴いて、静寂よりも恐ろしく思える。

「―――本当に困ったわ・・・」

シャルロットは大した様子も見せる事無く、ただ本当に困ったと言った様子で柳眉を寄せた。
その顔も体も服もボロボロでありながら、まるでそれすら知らないかのようにシャルロットの雰囲気は最初と何一つ変わらない。

危機感を感じていないのか、元よりそんな感情を持ち合わせていないのか―――

とりあえず、レッドに酷い事を言ったのだから謝らなくてはと、シャルロットはレッドが降り立った場所を目指して歩き続けていた。
ちなみに外面では冷静のように見えるが、実際その心音はバクバクだ。
人を殺す光景と言うのを初めて見せられ、レッドのあの獣のような目つきが頭から離れない。

俺はお前のために―――

それでも、大嫌いと叫んだ瞬間のレッドが傷ついたようなあの表情が頭を過ぎる。
自分のためにやってくれた事なんだと、今更ながら自覚した。
レッドはきっと、本当にとても優しいドラゴンなのだ。
そのドラゴンを自分は一言で傷つけてしまったと、顔を曇らせる。

「・・・言葉って・・・無力ね」

思わずそう呟いてしまう。
説得も出来るが、あの時みたいに容易く相手を傷つけてしまう事だってあるのだから、そう感じずにはいられない。

それでも、謝ればきっと分ってくれる―――・・・

シャルロットは意を決したような眼差しを前方に向け、再び歩き出す。
ここで何もせずにはいられなかったのだ。

(レッド。私はあなたと仲直りするわ・・・っ!例え火の中水の中、山や森の中だって探し出して見せるもの・・・っ!葉っぱの裏に隠れたって私の千里眼の前じゃ無効よっ!)

謝りまでの道のりは遥か先―――

愛と愛があれば大丈夫。
茨の道を突き進めと、シャルロットは妙なテンションで気合を入れる。

―――が、その道も難なくたどり着いてしまった。

ばしゃんと、水を叩きつける音を聞いて、シャルロットは茂みに隠れた横に視線を向ける。
弦が弦に絡み合い、僅かに光が差し込んで、この向こうの明るい世界に期待が出来そうだ。

(何かしら・・・?)

少し期待を込めて。
シャルロットはその草を強引に掻き分けながら、見えなかったその光景を目の当たりにした。
太陽の光が神秘的にその大きな泉に光を差し込む。
円形にも似た野原に木々は無く、広い空間が不気味な森の印象を払いのけた。

そして―――

大きな赤い鱗が付いた赤い背。その耳が萎れたように垂れ下がり、長い尻尾が水に浸かっている。
その背中の、なんとさびしい事か。

レッド―――!!

これは運命だとばかりにシャルロットが嬉々と飛び出すよりも早く、レッドの悲しげな声が足を留まらせた。
泣いてしまいそうな、あまりにも弱弱しいその声に。

「シャル・・・。俺はお前が大嫌いだ・・・っ!」


その言葉を聞いた瞬間―――シャルロットは頭が真っ白になる。
やはり、傷つけていた。まるで子供のようなその背中はとても悲しくて。
衝突して行くかのように、大きく息を吸い込んでこう叫んだ。

「レッドっ!私はあなたが大好きよ――――っ!」



**********





レッドはその叫びを聞いて、ぴしりと体を石の様に固めてしまった。

まさか・・・いや、まさか―――

この場所に彼女が来られるはずが無い。
そもそもここをどこだと思っている?

(底なし崖の断片の、それまた先の森だぞ!?)

崖と崖を飛び越えなければならないのだが、その崖の幅はレッドが翼を広げて初めて渡れるような、翼種の楽園なのだ。
翼を持たぬものがこの聖域に侵入出来てしまった事に、レッドは息を呑んで絶句してしまった。
まさか信じたくないが、それを乗り越えて来たと言うのか―――?

しかしそんな疑問以上に、大きく胸を高鳴らせる一言が脳裏に再生される。


『私はあなたが大好きよ―――っ!』


再び、胸がどきりと―――それも僅かに顔が熱くなるような衝動を感じてしまう。
その叫びはもしかすると幻聴なのかもしれないと、レッドはぎしぎしと、まるで錆付いた機械が回るように後ろを振り向いた。
そこには茂みから顔を出すシャルロットの顔がある。
その顔は薄く汚れ、それでも群青の両目が眩いばかりに輝いていた。

「シャ・・・ル・・・?お前・・・どうやってここに・・・?」
「あら?簡単よ?少し遠い崖に向かって走って、それで向こう側の崖に飛んだの。当たり前でしょう?それでしかここには来れないわ?」

まるで簡単にして当然と言った様子でそう答えてしまうシャルロットに、レッドは唖然とした。
なんと言うか・・・すごい運動神経である。
だがここではっと我に返り、レッドは2本の足で立ち上がった。
眉間辺りに皺を寄せ、レッドは突き返すように叫ぶ。

「何故ここに来たっ!?一体何しに来たんだっ!お前も最後のチャンスを逃がしたなっ?あそこで逃げていれば、きっと何かが変わったかもしれないっ!俺の扱いはあんなもんじゃないんだぞ?それを分っていながら来たんだったらお前は馬鹿以外の何者でも―――」
「レッドっ!私あなたが大好きだから、誰かを傷つけて欲しくなかったのっ!」
「・・・おまっ!!」
「大好きよ、レッド!!」

レッドの声を遮って、シャルロットが悲痛に叫びながら一歩一歩と走って近づいてくる。
その瞳にレッドの姿が一心に写され、それを恐れるようにレッドは一歩後ろへと下がろうとした。

しかし後ろは泉。ぼしゃんと、石が水に落ちるような音を聞いて、思わず後ろを振り返った刹那―――

「・・・っ」

水辺に、青年が映っていた。
レッドと同じように振り向いた体勢で、驚きを露に目を見開いていた。

「レッドっ!酷い事を言った私を許してっ!だけど、誰かを傷つけないって約束して欲しいのっ!ねぇっ!レッド!」

シャルロットが近づいてくる。
レッドはこの青年を見られたくない思いから、飛べる事すら忘れたように横へ走り始めた。
のしのしと、レッドは地響きを立てて走り逃げるのに対し、シャルロットも負けじとその後を追う。

「ねぇっ!レッドっ!私を無視しないでっ!」

レッドは動く耳を自発的に塞ぐ。
シャルロットの声を聞くのも、今は嫌なのだ。
長い尻尾を捕まれ、しかしじゅうじゅうと焼ける音を聞くと咄嗟に荒々しく尻尾を振り回しシャルロットの呪縛を振りほどいた。

「触るなっ!」
「レッドっ!私の話を聞いてっ!」

手に何度目かとも知らない火傷を負いながらも、ただレッドを追いかけて来る。


―――『傷つける事しか出来ないじゃないか・・・っ!』


男の、勝ち誇ったような笑みが脳裏に駆け巡り、必死になってその声を振るい落とした。
分っている。自分には、もう傷つける事しか出来ないのだ。
穢してしまう事しか、汚してしまう事しか出来ない。

―――シャルロットが自分に触れる度に傷ついていく様を見るのはもうたくさんだ・・・っ!!

傷つけてしまう事実を肯定するように、レッドは叫ぶ。

「嫌いだっ!お前など大嫌いだっ!近づくなっ!鬱陶しいっ!どっかへ行ってしまえっ!うざいんだよっ!いい子ぶりっ子が気に食わないんだっ!お前と一緒だと吐き気がするんだよっ!」
「レッドっ!お願いっ!私を―――」

シャルロットが何かを言うよりも早く、レッドはここでようやく翼を広げた。
しかし、ひしりと掴んで来たシャルロットまで浮上してしまう。

「・・・っぅ・・・っ!」

焼ける音を聞いて、レッドは本当に限界まで体温を下げた。
ばさばさとレッドが翼をはためかせる中、恐怖心からか、その尻尾を大きく左右に振って、シャルロットを落とそうとする。
もちろん振り落とした先には泉に狙いを定めて、譲らないシャルロットの力強さはレッドに苦戦を強いた。

「離せっ!お前はただの人質だっ!お前の言葉を聞く必要も無いし、もとよりお前の存在など蟻以下なんだっ!女っ!離しやがれっ!焼き殺して欲しいのか!?その綺麗な顔に大火傷を負わせられたいのかっ!?」

全ては、自分が傷つかないがためにシャルロットを傷つけようとしている。

これ以上シャルロットの傍にいれば、本当にシャルロットの事が・・・―――

レッドはこれ以上関わり合うのが恐ろしいと感じた。
同時にまた、シャルロットと男の光景が追い討ちをかける様に駆け巡る。
それにどれほど自分が傷ついたか。
もうこれ以上傷つき、苦しむのはごめんだ。

だから傷つけられる前に、傷つけてしまえ―――

そんな醜い自分に気づき、レッドは自己嫌悪の念を吹き飛ばすように尚も叫んだ。

「何で俺に関わろうとするっ!?そんなに俺が惨めに見えるのかっ!?そんなに同情を望んでいるように見えるのかっ!?このお人よしの馬鹿女っ!八方美人を演じてそんなに楽しいかっ!?お前の言葉で誰かを変えられるとでも思ったかっ!?―――大嫌いだっ!お前など大嫌いだっ!死んでしまえっ!いなくなれっ!この世から消えろっ!消えてなくなれっ!そのまま落とされて死んでしま―――」

「レッド・・・」

悲しげな声が、レッドの叫びを制する。
ただその掠れて消えそうな声に、レッドの声がぴたりと止まってしまったのだ。
レッドはシャルロットの歪んだ表情を凝視する。

傷ついていた。

レッドの言葉に、シャルロットは傷ついていた。
それでも恨みの欠片も無く、ましてや怒りの感情すらも無い。
ただ本当に、悲しげに目を細めていた。

「―――レッド・・・っ!嫌いにならないで・・・っ!憎んじゃ、嫌・・・っ!拒絶しないで・・・っ!悲しいし、苦しいわ。傷つくし、寂しいわ・・・っ!だって、レッド?私はあなたが大好きなのよ?・・・大好きな人に、そう言われるのは・・・死んでしまいたいぐらい・・・悲しいの・・・っ!」

レッドは目を見開き、その一つ一つの言葉に衝撃を受けた。
そうだ。シャルロットも、心がある。
傷つくし、悲しむし、寂しい感情だってあるのだ。
分っていたのに、今更ながら知ったような心地に呆然となった。
シャルロットの、悲痛な掠れ声が最後に言う。


「―――私、いなくなれば・・・レッドはもう傷つかないの?」


ふっと、シャルロットの手がレッドの尻尾から剥がれ落ちる。
そのまま落下していくシャルロットに、レッドは思わず手を伸ばした。

「シャルっ!」

しかしそのまま泉へとシャルロットは落ちてしまい、レッドは水面ギリギリに急降下を止めてしまう。
水泡が泉の上で弾ける様子を見ながら、その水面に映った青年に驚愕の表情を見せた。
その服装はまるで王族を思わせる煌びやかなモノで、ひらひらと先が流れるようにはためいている。
水に溶け込んだ長髪も結わいているために一本となって泳いでいる。
ただ同じ赤目が瞳孔を揺らし、長身の青年はこちらに向かって手を伸ばしかけ、それを引っ込めているのを見た。

水は・・・嫌いだ。

その透き通った綺麗な水が嫌いだ。
その綺麗な青年が嫌いだという理由もあり、レッドはそこに向かって飛び込む勇気が無かった。

だから祈る。

シャルロットはきっと運動神経がいいのだから自力で浮いて来れると―――

しかし一向にシャルロットの影が見えてこない。
むしろその水泡すらなくなってしまったのを見て、シャルロットの安否がまったく伝わらなくなってしまった事に危機感を感じる。
そもそも空中を落下していく時点で、気を失っていたのかもしれない。

もしもこのままシャルロットが浮いてこなかったら・・・?

もしもこのまま―――いなくなってしまったら・・・?


『私、いなくなれば・・・レッドはもう傷つかないの?』


シャルロットの泣きそうな声が脳裏に何度も言霊し、レッドを攻める。

傷つかない?
違う。むしろその逆だ―――
いなくなってしまったら・・・シャルロットがいなくなってしまったら・・・。

レッドの体が寒気に襲われたように震え上がった。

自分が傷つくのは怖い。


しかしそれ以上に―――


レッドは考えよりも早く水に飛び込んだ。








推敲更新日

2008年10月05日

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