世界で一番・・・<第4話>






「―――お前は綺麗だから、汚したくなるんだよ」

熱さすら忘れたように―――いや、レッドが無意識のうちに体温を下げたためシャルロットは大人しくなっていた。
レッドは状況に流され押し倒そうとするよりも早く、シャルロットの目元が和んだ。


「―――嬉しいわ」


「・・・はっ?」

その一言に、レッドの情けない声が出てしまった。

―――今なんと?

この襲われそうな事態を知ってか知らぬのか分らぬのか―――レッドは理解できぬまま時間を止めたように体が硬直する。

う、ご、け、な、い・・・っ!!

「私を綺麗だって言ってくれたわ!!嬉しい・・・っ!」

本当に嬉しそうに、シャルロットは言った。
しかし、レッドはその笑顔に呆れにも似た感情がため息を付かせる。

「・・・お前最後まで聞いてたか?そこは喜ぶところじゃないだろう・・・」

そもそも『汚したい』という意味を、この少女は理解していない。
レッドの気は見事削がれたしまったのだが、このままではレッドの気持ちのほうが治まらない。
半ばヤケクソで、レッドはまだシャルロットの細い腕を手放すことが出来なかった。

歪みの無い、綺麗な顔―――

綺麗なモノは嫌いだ。
それは汚れた自分の嫉妬であり、同時に世界は綺麗だと信じる少女を、自分と同じ道に引き込む道連れにしてやろうと思う、嫌な心があるからなのかもしれない。
シャルロットは相変わらず、ただ不思議そうな顔でレッドを見つめた。

「レッド?あなた苦しんでるの…?」

そんな事を突然と言うもんだから、レッドは不機嫌そうな表情で、眉間に皺を寄せる。

また始まった。

まるで全てを見透かしたように、心配事の一つもなさそうな表情がレッドを更に苛立たせる。

何も知らず、何も分からない者に己の 何が理解できるというのか―――

「何が『苦しんでるの?』だっ!人の心配よりも自分の身を心配しろっ!」
「あら?あなたは『人の心配よりも』じゃなくて『ドラゴンの心配よりも』と言った方が的確よ?」

それはシャルロットにしてみれば、可愛らしい悪戯混じりの言葉だったのだろう。
からかいや皮肉を込めた訳ではないと分っていながら、レッドにとっては禁句を言われたような心地に、胸がずきりと痛むのを感じる。
同時に、どうしようもない怒りからレッドは怒号を上げた。

「・・・ああそうだともっ!俺は醜くてあくどい、図々しいドラゴンだっ!そうさ―――人とは違うっ!傷つかないし、痛みを感じないっ!この鋭い鱗のお陰で俺は何にも感じないのさっ!」
「違うの!!そういう意味で言ったわけじゃ―――・・・っ!!」
「ああそうだとも・・・っ!こんな風に傷つくことなんてないんだっ!」

レッドの手が握り締めるが如く強く掴み、それを痛がるシャルロットは弁解の機会を奪われた。
彼女に謝らせる事はどうしようもなく心地が悪かったのだ。

「痛いっ!レッド・・・っ!!」
「ああ。痛いだろうな?」
「痛いわっ!本当に痛いの・・・っ!」

―――もっと・・・苦しめばいい

泣いてしまうまで、憎まれてしまうまで・・・っ!

その念が強くなり、レッドは更に力を込めた。
力の前に、きっとシャルロットは屈してしまうだろう。
そう高を括って、レッドはにやりと口元を歪めた。

「レッド・・・っ!!痛いの。痛い・・・っ!!」
「お前はいちいち気に障るんだよ・・・っ!!ああ、むかつく・・・っ!!むかつく!!」
「・・・レッド、私は本当にそんなつもりじゃなかったの・・・っ!!信じて―――」

その腕から逃げようとはするものの、怯えよりも真剣な眼がレッドを見上げる。
なんておもしろくないのだろう。それにしても、何故人本来の怒りや恐怖心が出てこないのかと、ここでようやくシャルロットが泣かない事に怒りではなく疑問に思い始めた。
シャルロットはただ痛がるだけで、ちっとも泣く様子を見せない。

「レッドっ!怖いわっ!」

シャルロットは叫んだ。

それでも、泣かない―――

レッドはなんだか自分の今の行為に空しさのようなものを感じ始めていた。
シャルロットが、痛々しく見える。
それはレッドはこうやって痛めつけている事が関係しているのだが、しかしそれだけではない。

―――何かが、違う・・・

分らないのが腹立たしいのか、シャルロットが泣かないのが気に喰わないのか―――

「ちっ・・・!むかつく女だっ!」

レッドはむず痒い想いから、荒々しくシャルロットを突き飛ばすように手を離した。
また短く悲鳴を上げて、シャルロットは地面に転がる。
ふいにレッドの曲がった背と、頭に生えた耳がぴんと伸び上がった。
さながら、何かを聞き取るように、しきりに崖上から下に広がる森を見渡す。

―――足音が、聞こえたのだ

それもかなり近いところまで。今までならば、この奥地から森に侵入者がいれば直ぐにでも察知出来たというのに、すっかりシャルロットのお陰で失態を犯してしまった。
複数の、大胆かつ礼儀を知らない侵入者の音―――ざっとその足音を聞けば5人ほどだろうか。
この森は魔物が多発する危険地帯で、例え武勇で知られる軍隊すらも、半月掛かってでもこの地域を避けて通るのが今までの反応だった。
それをせず、まっすぐこの禿山にやって来るということは、考える理由はただ一つ。
それにしても、なんとも迅速な対応だ。よほど、この王女様が大事と見える。

「―――せっかくの国への贈り物だ。当たり前か・・・」


『世界で一番美しいモノ』―――


それが手に入れば、この女に用は無い。
しかし、一つ疑問が残る。

―――再び連れ戻されると分っていながら、何故この女は誘拐など頼んだのだろうか?

本気で王子と結婚したくないのであれば、一人で逃亡なりなんなりとするべきであるはずである。
興味にも似た気持ちが生まれ、レッドは振り返った。
そこにはただ、まるで何も無かったような様子を見せるシャルロットが見上げている。

「どうしたの?レッド」

不思議そうに、ただ恐怖も何もない様子でシャルロットは尋ねてきた。

それが逆に―――不気味だ。

まるでレッドにやられた事など忘れてしまったように、しかしその体には隠し切れない傷が出来ているのだから、忘れるはずが無い。

「・・・お前、交換されるんだ」
「ええ。そうね?」
「何故誘拐してくれと頼んだ?」
「あら?前にも話さなかったかしら。王子様と結婚したくないからよ?」

「そうじゃないっ!」

笑顔すら見られる陽気な返答に、短気なレッドは苛ついたように叫ぶ。

「そうじゃないだろっ!今思えばおかしいっ!まさか俺を陥れるためじゃないだろうなっ!?」

そうとしか考えられなくなった。
急に、得体の知れない少女が恐ろしくなる。
お前は何を考えているのだ?何が目的なのだ?

―――おかしい

この少女に一つもいい事が起こるわけではない。
ただの時間稼ぎのこの行為には何の意味も無いのだから、特に疑心の強いレッドがそう思い始めるのも無理はなかった。

―――何故だ

シャルロットは微笑んだ。
そこに、レッドのように複雑に絡みついた感情は無く。
ただそれしか考えられなかったのだと。

「・・・世界を、見たかったのよ」
「・・・世界?」
「―――ええ。世界がどんな所なのか、見たかったの。ただそれだけよ?」

おもしろそうに、シャルロットが笑みを湛えてそう言えば、レッドは馬鹿にされたような心地からつい尾が出る。

「答えになってないだろっ!」

びゅんと、勢いをつけて、レッドの尾びれはシャルロットの体を突き飛ばした。
今度は悲鳴も上げる事無く、シャルロットはその場に横から倒れ込む。

「痛いわ。レッド」

シャルロットは座り込んだままレッドを見上げた。
少し拗ねたような顔をするものの、怒りも何も無いその綺麗な声が気に喰わない。

―――綺麗?

違う。ただ不気味なだけだ。
綺麗だが、しかし綺麗だと思えない。

(なんなんだ・・・?)

レッドが一体何に疑問を抱いているのか、まったく分からないシャルロットは少し戸惑いがちに、言葉を選ぶこともせず、「あのね・・・」と言葉を区切った。

「王女はお人形なのよ。レッド。王女は綺麗に着飾って綺麗に笑って、綺麗に話して綺麗にしてなくちゃいけないの。王女はお人形だから・・・宝石のように何もしゃべっちゃいけないの。ただ、行儀良く座って微笑んで、みんなを幸せにして上げなくちゃならないのよ?いい王子様に気に入られるように、嫌な顔もしちゃいけないの。全てを受け入れて、嬉しそうにしなくちゃ『捨てられちゃう』でしょ?王女様にとって、王子様が全てなのだから・・・」

シャルロットは続けた。

「私、『結婚したくない』って飛び出したけど、駄目なのよ。王女はね。お国のためにいるのよ?お姉様達と同じように私は絶対に王子様と結婚しなくちゃいけないの。愛されなくても、結婚しなくちゃいけないの。だって私が生かされているのは、そのためだけなんですもの。それにね、私のせいで大好きなお父様にご迷惑をお掛けするのは嫌なの。私を大事にしてくれて、優しくしてくれるみんなを、不幸にしたくないわ。今、いろんな所で戦争が起こっているから、きっといつか私の国に誰かが攻めてくるって。その前に、守ってくださる王子様がどうしても必要なの。私しか、いないの。・・・けど、きっと王妃になれば、私はまた箱にしまわれてしまうわ。だからその前に広い世界に出てみたかったの。世界がどんな所で、どんな人がいて、どんな事をしているのか―――。世界は綺麗ね。空は青いわ。まるでサファイアのようね。人が笑っていたわ。まるで生きているみたい・・・」

自分が死んでいるとでも言っているようなその言葉に、レッドは何も言えない。

―――自分もまた・・・死んでいるようなものじゃないか・・・と。

「初めてあなたを見た時、やっぱりびっくりしたわ。世界って広いって本当だったのね。あなたみたいなドラゴンなんて絵本でしか見たことがないもの。城の中には鱗が付いたお魚と、翼がついた鳥しかいない。―――あなたの目は綺麗ね。夕日のような、赤いルビーの目。綺麗だわ。とっても。世界はおもしろくて、不思議に満ち溢れてて、だからこそ―――美しいわ。神秘というのかしら・・・」

シャルロットの輝くような目に惹かれながらも、しかし心の隅ではそれはきっと嘘だと拒絶する。

―――何が『綺麗』だ

全てが綺麗なシャルロットには、言われたくなかった。
それでも怒りは湧き起こらないのは、その考え方によく似た奴を知っているからだ。

―――『    』。世界はそれほど醜いものじゃない。美しいモノにも目を向けてみろ…

そう自分に諭したのは誰だったか。

『そいつ』は一体、誰だったか・・・。


ちっとも思い出せない。

しかしそれが当たり前で育ち、それが世界の全てだったシャルロットには、それを苦としていないようだ。

(こいつは人に、金に、幸福に囲まれていい生活をしてるじゃないかっ!税金喰ってのうのうと暮らしているっ!世界には恵まれない奴がたくさんいるのに・・・っ!なんてわがままなんだ!!)

―――そうだ。

そう考えてしまえば、心は晴れる。
やはり世界は汚らしい。穢れて汚れているではないか。
自分は『世界で一番美しいモノ』さえ手に入ればいい。
この女の事など、知ったことではないのだ。
ふいに、シャルロットがぱたぱたとドレスを叩いてから立ち上がった。
しかし所々から空いた穴から白の肌が露出し、そこも赤く爛れていたりもする。
真っ直ぐとレッドを見つめ、シャルロットは首を傾げる素振りを見せた。

「―――ねぇ。レッドは何故『世界で一番美しいモノ』を探しているの?」

核心をつかれた様なその問いに、レッドは瞬く間に不機嫌になる。

「・・・別になんだっていいだろうっ!人質に答える義理はないっ!」

そう突っぱねてしまえば、困ったような声が更に尋ねた。

「でも。レッド?世界にはどれが一番美しいのかなんて誰にも分らないと思うわ。レッドは何が綺麗と思うの?宝石?景色?毛皮?それとも別の何かかしら?レッドにとって、一番って何なのかしら・・・?」

そういえばと、レッドは今まで一番美しいモノがなんなのかを考えた事が無かった事に気が付いた。
今まで我武者羅にただ『世界で一番美しいモノ』を追い求めていたために、ここでようやく一番とは何かなどと考え始める。

―――どれが一番美しいか?

しかしレッドの目には、人が美しいと言うモノ全てが穢れて見えた。
まるで呪いを受けているように、全てが汚れて映るのだ。
綺麗な宝石を見ても、綺麗な花を見ても、綺麗な夕日を見てもただ嫉妬する気持ちが残るだけで『綺麗だ』と素直に思ったことが無い。

――― 一番綺麗って何だ?

レッドは口を噤む。

「レッドが探しているものはよく分かったわ。けれど、私には分からないの。世界で一番綺麗なものだなんて・・・。だってこんなにもたくさん綺麗なモノが溢れているのに・・・。美しいものに順位はつけられないわ」
「錯覚だ。よく見て見ればいい。お前が綺麗だと言ったあの氷柱をよく見ろ。土が混ざって濁っている。綺麗な花にだって虫が付いて汚く見えるもんだ」
「・・・汚いかしら?ちょうちょとか、天道虫とか・・・可愛いと思うわ」
「よってたかる油虫もか・・・?」
「油虫?」

どうやら分っていない様子に、レッドは怒る気にもなれず、自分を鋭い爪で指差す。

「俺を見ろ。こんなにも―――醜いだろう?」

自嘲するようにレッドが笑い飛ばせば、シャルロットは怪訝そうに首を傾げた。

「醜い?・・・あなたが?」
「そうだっ!醜いだろ?穢れているだろ?―――おっと、『どこが』だなんて嘘を言うなよ。言えばすぐにその首を捻り潰して―――」
「あなたの目はこんなにも綺麗なのに?」
「言うなっ!」

レッドは咄嗟にシャルロットの首をその手で持ち上げた。
シャルロットの体が宙に持ち上がり、苦しそうにバタバタと足を動かしている。

「レッド・・・っ!苦しいわ・・・っ!」
「言うなっ!そんな戯言に耳を貸したくないっ!」
「ねぇ・・・っ?なんで、そんなに・・・自分を嫌ってるの・・・?」

尚も尋ねてくるシャルロットが憎らしくて、レッドは爪の生えた人差し指を器用に使い、その首筋に傷をつける。

「・・・っ!」

苦痛に、その唇から美しいと思ってしまう、くぐもる様な声があふれ出た。
首筋からも、赤い血がレッドの皮膚よりも赤いその雫を流し、バラを思わせる綺麗な色に嫉妬する。

―――何故こうも綺麗なモノが気に喰わないのか・・・っ!

分らない。分らない―――

「綺麗なお前には分らないだろ!?しょせんお前が言う言葉は全て皮肉にしか聞こえないんだっ!心にも無い事を平然と言うなっ!そんなのは優しさでも何でもねぇんだよ!!他人事だからそんな気休めがいえるんだ!!」

しかしレッドには分っていた。
シャルロットが心にも無い事を言っているわけではなく、本心をそのまま言っている事実を。
シャルロットの苦悩な表情を見上げながら、彼女を否定する気持ちでレッドは首を絞める手が力んだ事に気が付かない。

「綺麗なお前には―――全部綺麗なお前に俺の気持ちなんて分るかぁああっ!」

ムカツク。どうしようもなく腹立たしかった。
それ以上に何故ここまで自分が怒ってしまうのかが分らない。
シャルロットは酸素を吸えない状態からしゃべる事すら許されず、整った柳眉が下がっていた。
眉間にしわがより、瞑る目元が悲しそうだ。
限界を見定め損ねたレッドは、危険の一線を越えた事も気づかないまま、衝動に従って牙をむいた。
これが、濁りきった己の目に映る世界の全てとでもいうように―――・・・

「所詮この世は濁っているんだっ!人だって老ければ皺くちゃで汚くなるっ!花だって枯れて綺麗じゃなくなるっ!あの氷柱も消えてなくなるんだっ!綺麗じゃなくなるんだっ!宝石だってな。それを作り出すためにどれだけ卑劣で汚らしい方法で入手しているか知らないだろう?お前達が使っている雑巾一つで、零れ落ちるワイン一滴がどれだけ犠牲を払って作られたのかもお前は自覚していないはずだ!!命乞いや物乞いをしなけけばいけない奴らを、お前は見た事がないだろう!?きっとそんな光景を見たって、『知らなかった』『関係無い』―――お前の場合は『可愛そうに』だなんて、いらない同情でもするつもりなんだろう!?―――ああ、想像しただけで笑えてくる!!この世の醜さに笑えてくる!!人なんざぁ大嫌いだ!!存在そのモノが汚らわしい!!いっその事いなくなってしまえばいいんだ!!人ほど不要なモノは無いっていうのに!!」

歯がゆい。ああ、なんて歯がゆい!!

「腹が立つ!!なんて不愉快!!なんて悲劇!!同じ空気を吸っているだけで吐き気がする!!同じ場所<世界>に存在していること事態が最悪だ!!ああ!!腹立たしい!!ああ、醜い!!ああ、なんて理不尽だ!!『外見』で人を判断されるこっちの身にもなってみやがれ!!三度の飯に毒が入っていると知っていながら、何も出来ない状況をお前は想像できるか!?殺さなければ殺される環境がお前には耐えられるか!?そこで一生を定められた者の気持ちが―――お前には分かるか!?ちくしょう!!もうたくさんだ・・・っ!!―――もう!!たくさんだぁああっ!!」

何を言っているのか、今のレッドにはまったく分からなかった。
無意識に飛び出てくる言葉に、覚えも無く―――けれど、疑問を抱けるほどの余裕が今の彼には無い。

「お前は一体何が不満だってんだよ!!こんちくしょうめが!!お前見てると腹が立ってしょうがない!!なんて不公平だと思うことの何が間違っている!?お前がこんだけ幸せそうだってのに、俺はこの様だっ!!ああ、惨めでならない!!お前は俺を惨めな思いにさせるんだよ!!こんな俺を産み落とした世界を、お前は醜いと思わないのか!?綺麗で通そうとする事には無理があるんだよ!!―――世界が美しいだと・・・っ!!笑わせてくれる!!世界は汚いんだっ!どうせお前は愛で世界が救えるだなんて戯言をほざくんだろうがな、だったら貧困者全員助けて見やがれ!!囚人の全員を愛とやらで改心させてみろってんだ!!どうせ不祥事が起これば簡単に責任を放棄して、醜くも己を正当化しようなんざ答弁する人間どもが!!分ってるくせにいい加減本性現せよ!!」

もう自暴自棄だった。
レッドも、もう自分が何を言っているのか分らなくなる。
瘴気に襲われ、飲み込まれ、既にシャルロットの存在を忘れかけていた。

世界から弾き飛ばされた自分など―――
受け入れないこの世界など―――

ふいに、青い顔をしたシャルロットは、息をつくように小さく囁く。


「あな、た・・・世界を・・・嫌っているの・・・?」


―――嫌っている?

そうか。世界が嫌いなのだ。

嫌いだから世界にあるもの全てが美しいと思わない。認められないのだ。
嫉妬するのはそのためなのだろう。

『世界は綺麗だわ―――』

シャルロットの、眩しいと思う幸せに満ちた顔がそう言った。
綺麗だと、美しいと少女は言うのだ。

―――気にいらない

嫌いなモノが認められている。

―――目の前の少女に

レッドは歯をむき出しにして、空高く掲げるシャルロットに尚も叫んだ。

「そうだっ!世界なんぞ大嫌いだっ!クソったれだっ!俺を見ろっ!穢れた存在を認めろっ!世界は濁っている!そうだろう?そうだと言えっ!綺麗だなんて妄想なんて捨ててしまえばいいっ!」

むしろそれは脅しで。
己の下に跪けと、それは有無を言わせない暴君のようだった。

「レ・・・―――。私に、世界を―――嫌って・・・欲し、い・・・の・・・っ!」

レッドの手を掴んでいた手が力尽きたように滑り落ちる。
ここでようやくレッドは我に返り、慌てたようにシャルロットを地面に下ろした。
ぐったりとしたまま、あれだけ赤かった唇も真っ青だ。

「おいっ!」

声を掛けても、シャルロットは綺麗な睫毛を見せたまま、決してその瞳を見せようとしない。
血の気の失った顔も、美しかった。
レッドには―――何故かこの少女だけは美しいと、綺麗だと何度も思ってしまう。
否定しても風の様に受け流され、水のように怒りにも静けさを及ぼしてしまうのだ。

―――美しい・・・

しかしそれはその容貌にほれ込んだからではない。

その理由は―――

レッドは、シャルロットを揺さぶる手を止めた。

(そう、なのか・・・?)

世界が汚いと、言葉や暴力で少女を濁そうとするのは、きっと―――きっと、この少女にもこの世界を嫌って欲しいと願っているからなんだ。


しかし、それは何故―――・・・

何故自分は、少女にそんな事を望んでいる?
何故必死になって己はそんな事を。
何かが分り始める。
けれど、底に沈みきっていたものが浮遊するのを拒絶するように、その気持ちを否定した。


―――馬鹿なっ!


ふいに、シャルロットが目を覚まさない事にようやく現状の危機を感じた。
その顔にまるで生気が無い。

「おいっ!俺は殺してないんだっ!目を開けないと殴るぞ!おいっ!」

その頬につまむ様に指先で触れる。
じゅっと音を立てて、傷にまた傷が生まれた事に驚く。
体温調節が、出来なくなったのだ。

(どういうことだ・・・っ!?)

今までに無い経験に狼狽する暇も無く、レッドは食い入るようにシャルロットの顔を覗きこむ。
自覚も無いまま、シャルロットになるべく触れないようにしているのは、これもやはり何か変化が起こったのだろうか。

「おいっ!『シャル』!目を開けろ!シャルっ!起きないと殴るっ!それに・・・蹴るぞ!」

「・・・お姫様・・・は、王子様の・・・キスで・・・っ!」

「そんな事されたら誰だって気づくだろ・・・っ!!しかも俺は王子じゃなくてドラゴンだっ!―――なんだよ・・・!心配掛けさせやがってっ!」

レッドは息をつく。
―――いや。
決して自分は心配などしていた訳じゃない。
大事な人質を殺してしまっては元もこうもないだろう?

―――だからこそだっ!

ふいに、目を閉じたままシャルロットは小さく咳を繰り返しながら言った。

「私の、愛称は『シャルロット』よ?愛称に、また愛称を付けるなんて・・・あなたは随分と面倒臭がり屋・・・なのね・・・っ!コホっ!ケホっ!」

そういえば―――レッドはこの時初めてシャルロットの名を呼んだのだ。
その事実に気づき、しかしレッドはその口元に笑みが浮かんだのを知らぬまま小さく息をつく。

「クソ女。あのまま死んでしまえば良かったんだよっ!」
「・・・傷つくわ」

最後に、寂しそうなシャルロットの声を聞いて、レッドは再度安堵によるため息を付いた。
ついに、ぜいぜいと息をつく5人の男達が、山の天辺にまでたどり着いたのを見て、レッドの表情は曇る。


―――何をがっかりしているんだ


『世界で一番美しいモノ』さえ手に入れば―――

しかし手に入れれば一体どうなると言うのだろうか?

手に入れて、彼の『何』が変わるというのだ。
ふいに、シャルロットの小さな手が、レッドを揺さぶった。

「・・・あの・・・人達―――」
「ああ。お前を助けに来てくれた勇敢なる兵士達だ。良かったじゃないか。王子様と玉の輿だぞ」

レッドがその姿を追っていると、シャルロットは違うと首を振る。

「私の・・・国の―――兵士じゃ、無いわ・・・っ」
「はぁ?」

紋章が無いとシャルロットが指摘し、レッドは渋みながらも怪訝に眉を寄せた。
言われてみれば確かに。配布される衣類や防具全てに刻まれているはずの紋章は見当たらない。
しかも、その装備に色や形に統一性は無く、中古品で購入したと仮定してもここまで一致しない見た目の悪さを見たのは久しぶりである。
戦場で戦う覚悟を決めた男達は、個性をつけるために身なりに気を使うものだが、むしろ防備性を優先している時点で、戦士としての誇りも無い事が伺えた。
レッドの今までの経験から、とある一つの結論に辿り着いた。

いいや。まさかそんな事は―――・・・

けれど、連中が近付けば近付くほど、色濃く漂ってくる『臭い』を嗅いで、眉間の皺は深くなった。
未だこちらの存在に気づけない連中は積んである岩を飛び越えて登りながら、呑気に会話をしていた。

「ったりぃなぁ。こんな時は酒場で一杯やりたい気分だぜ・・・」
「この『仕事』が終わればしばらく遊んで暮らせるだけの金が手に入るんだぁ。ちったぁ本腰入れやがれ」
「へいへい・・・。真面目にやらせていただきやすよっと・・・。にしても獣臭せぇなぁ・・・これは野郎が印でも付けた匂いかぁ・・・?」
「だったら嫌でも近づけらんねぇなぁ。くぁっ!!―――鼻が曲がりそうなほどきついぜ!!くっせ。くっせ!!」
「おい、奴が聞いていたらどうするつもりだ?お相手は王族よりも誇り高いと噂される異形者なんだぜ?奴の逆鱗に触れて道連れなんざぁ、俺はごめんだかんな」

緊張感の欠片も無く、ついに彼らの足はレッド達と同じ土を踏んだ。

「おいおい。マジかよ・・・っ!!」

しかし、余裕そのものの態度もレッドの姿を見るなり、品の無い連中は恐怖に怖気づいたように一歩後ずさった。

疲れた色を見せず、これから戦いでも始まるかのように、厳つい鉄の鎧や兜を装備した武装集団は5人。
しかし腰の曲がり具合や、話し方をみても国に仕える者としての、堅実さや敬愛心の欠片も見当たらなかった。
兜から覗くその目は決意の現われも無く、むしろ誇りを捨てたが故の自由を抱いた悪逆無道を匂わせる。
王族を守る騎士もやっかいだが、それ以上に彼らほど手強い相手もいない。


手段を選ばない―――それが『連中』の強みだった。


「・・・ふん。誰かと思えば、イージェスト<奈落者>か・・・」

レッドの問いかけに答えるように、崖ギリギリに立つ男の一人が髪を掻き毟る様に片手で撫でながら、低腰で近づいてきた。
中でも最も背が低く、鎧を身に纏っていても分る、ひょろりとした体型ではとても剣を振って戦うようには見えない。
むしろ奸智に長けた悪徳商法を考え出す商人を思わせる印象だ。
是非ともその中身を拝んでみたいものである。

「―――これはこれはドラゴン様。おお、おお。随分と貫禄高いお顔つきで。怖い怖い・・・っと。そうですとも、俺達は強盗より非道。市民権を剥奪され、居場所を失った可愛そうな奴らなんですよ。はい。あ、俺は、ジゼルと申しやす、はい。」

粗野な印象は強まるばかり。威嚇するレッドの唸りは、地を震わすが如く恐ろしく、獲物を渡さないとばかりに、シャルロットを背中に庇った。
すると慌てたその男・ジゼルは両手を前に突き出し、戦う気は無いのだと手の平だけでなく、頭すらも左右に振る。

「いやいやいや。我々はですねぇ、戦いに来たわけじゃないですよねぇ、はい」
「―――何しにきた」

「姫さん助けに来たに決まってんだろう」

ふいに、一人が手馴れた手つきで剣を抜くと、レッドに宣戦布告を叩きつけるようにその先を向けた。

「お、おい・・・っ!!いつもいつもてめぇは・・・!!お前は手ぇ出すなって最初に言ってんだろう!!せっかく死なずにすむってぇのに・・・」
「指図すんじゃねぇ。お前のやり方は周りくどいんだよ。どうせやるんだったら効率よくやろうぜ」
「ちっ。馬鹿が―――」
「てめぇはそこで尻尾巻いてろ。―――おい、そこのドラゴン。俺達はそこの姫さんの親父殿―――つまり国王陛下直々の勅命を受けて来たんだ」
「お父様が・・・?」

萎れてしまいそうな声が小さく繰り返した。

―――お父様・・・と

口では何も言わなくとも、やはり彼女は城の事を気にしていたようだ。
しかし、レッドは再び彼女を背中に押し込めると、見下すような冷笑を浮かべ、ありえるものかと踏ん反り返る。

「・・・お前らイージェスト<奈落者>に、王が己の娘の命運が懸った重大な役目をお前らにお与え下さったって・・・?それで、お前らは交換の物を持っているとでも?」
「あ、ああ。そそそ、そ、そうさ・・・っ!!」

ここぞばかりにと一歩前に出て―――けれど足の震えが止まらず。
呂律すら回り切らないまま、背中に背負っていた箱を下ろしたのは別の男だった。
よほどレッドと戦いたくないと見える。
上下に開ける木箱から取り出されたのは、一級品としての価値がありそうな銀箱だ。
重そうに両手で抱え、それでも慎重に傷つけないようにと配慮されながら地面に置かれる。

―――なるほど、確かにこれは可能性がありそうだ

「信じる信じないは貴様の勝手だがよ、ドラゴン。強引にもでもその姫さんは連れて帰るぞ」
「お、おい・・・っ!!」
「邪魔するな。今俺がこいつと話している」

それは先ほどレッドに剣を突きつけた男だった。
珍しくも怯えた様子すら見せない事がつまらないレッドは、珍しいと思った。
精々嫌悪しても、恐怖心の欠片も見せない奴に出会ったのは、大抵国を守る隊長格の男達だったからだ。
よもやこんな人間の屑でしかないような男にその胆が備わっているのは、偶然かそれとも――――・・・

「その王も老いたな。こんな人道外の奴に重大な役を任せるなんざ、とても信じられないもんだな」
「この山は『魔物の巣窟』だ。ここだけの話じゃぁ、あの国の兵士なんぞ戦力の足しにもならない平和馬鹿の塊。そんな奴らより俺達の方が役に立つってもんだ。―――まぁ、あっち側からしてみれば、婚期の近い姫さんを直ぐにでも取り返したい。だが、この山の道のりは険しく、持久力はあれど対応力の無い連中<派兵>ではとても婚約まで間に合わない。・・・そこで常に山脈を越えて渡り歩く俺達の出番だ。普通の傭兵でも大金を積まなきゃならねぇ所を、財政難の奴らは俺達に頼んだ訳さ。―――なに、この山は俺達からしてみれば攻略なんざ、魔物どもの繁殖地を避けて通ればこんなもんだろう」
「小さかろうと、傾きかけようと、王の器を守り続けた男がそこまで警戒心の無い奴だとも思えない。裏切りが・・・騙しが生き甲斐のお前達を信じるとは到底思えないんだが・・・?」

剣を突きつける手が僅かに降りた。
それはイージェスト<奈落者>になりきれなかった者の反応だ。

「―――俺だって人の生活がしてぇんだ。市民権をちらつかせられればほしいと思うのが当然じゃねぇか」

ふいに、他の4人が初耳と言わんばかりに顔を合わせ、互いに苦虫でも潰した様な顔をした。
それはレッドとて同じ反応だ。
イージェスト<奈落者>と呼ばれるその理由は、人を殺す事に味を占めた、もしくは悪戯に奪う事を楽しむ者達の事を指すからである。
それを、この男は人としての生活を望み、それを叶えるためにこの場にいると言っているのだ。

「ほぅ。犯罪から足を洗いたい訳か。拭いけれるはずがないだろうに。たとえ市民権を取得した所で、お前を待っているのは差別だ」
「そうだな」
「分ってながら、自由を捨て、綺麗に丸く収まるってか。随分と可愛いもんじゃないか」
「―――はん、何とでも言え。お前に言われた所で怒りも何も抱きはしねぇよ。俺はその姿で生まれなかっただけでもマシだったからな」

レッドの笑みが消えた。
背筋が凍りつくような、その表情は静かなる怒りと呼ぶべきか。
黙って事を見守っていたイージェスト<奈落者>も、これはやばいと表情を強張らせる。

「そんな事より、随分と人質を痛めつけてくれたようだな。ここまで出来るなんざ、心が存在するとは言え、やはり魔物か・・・」
「―――物はどこにある」

珍しくも、静に収まった声音。
しかし、それはこの一言だけ。

「物を出せっ!!」

咆哮に似た末にも恐ろしい怒号に、男は首で後ろに合図を送った。

「・・・。おい」
「あ、ああ・・・、分った・・・っ!!」

すっかり尻尾を隠してしまった背後のイージェスト<奈落者>は、笑い出す膝を叱咤しながらも、銀箱と共に、その中身を証明する勅命書を抱えた。
最初こそその懐に行くのを渋ってはいたが、それでまた更に彼を不機嫌にする事を恐れたのだろう―――決心したようにこくりと唾を飲み込むと、強張った表情のままどうにかレッドの目の前―――とまではいかないが、中間にまで持ってくると、小さく悲鳴を上げながら逃げるように全力で戻っていく。
それを目視した後、レッドは倒れているシャルロットの方へ振り返った。

「・・・」

なんとしてでも、自分は『世界で一番美しい宝石』を手に入れなくてはならない。

―――どうしても、だ

だから、シャルロットを相手に渡すのは当たり前であって・・・

疲れたように目を瞑り、ぐったりとした様子を見せる弱りきった様は、あまりにも痛々しくて、レッドは顔を顰めてしまう。
けれど、こんな風にしたのは自分なのだ。罪悪感を抱くのはあまりにもおかしい事ではないだろうか。

そうさ―――他人事だ

レッドは無理やりそう割り切ると、一つ大きく頷いた。

「―――いいだろう」

背中に隠すシャルロットを渋みながらも見せれば、男達の、性欲に疼く目がシャルロットを見つめている。
終いには、一人が口笛を鳴らしたほどだ。
厭らしく鼻を伸ばす事にレッドは不快感を露にしつつ、しかしシャルロットを両手で持ち上げる仕草にはどこか優しさがあった。
シャルロットはそれがくすぐったいとでも言うように、微弱な微笑を浮かべた。

―――「世界を見れて嬉しかったわ」…と。

ずきりと、何かが痛んだ。

―――望みなんて・・・ただ絶望に変わるだけ
だから希望も夢も持たない。
今までだってそうやって『生きてきた』だろう?

ドロドロに汚れたこの世界―――

望むな望むな望むな―――

何度その言葉を、何度絶望を味わう度、戒めとして使ってきたことだろう。
望んで傷つくのは自分なんだ。
穢れたこの姿を、
穢れたこの心を―――
思い出せ。お前が何者であるのか・・・
そう。

―――凶悪で、醜いドラゴンだろう?

ああ、愚かな女だったな。馬鹿だったから単純で、不幸にも気づきやしない。
いなくなって清々。怒りに震えることも無くなる。
そう思っていたのに・・・何故これほどまで手放す事を渋ってしまうのだろう。

何故、こんなに・・・

ふいに、ずしりと歩くレッドの横に溜まった水溜りに、青年の横顔が写った。
白銀に似た青の髪を揺らし、褐色がかった青のラインや装飾品が目立つ白いローブは、どこか貴族とも王族とも思わせるほど豪勢なものだった。
まるで絵に描いたようなその麗しの美貌は、ただ悲しげな色を湛え、形の良い唇で声無き声を、言葉をそっと形にした。


『あなた』を・・・―――


しかし、映ったその姿はすぐさま通り過ぎ、その最後を口にする事は無かった。






推敲更新日

2008年10月05日

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