世界で一番・・・<最終話>






王女は無事に城へと帰還した。
多くの者がそれを喜び、見事悪竜を退治したと、人々は兵士達を褒め称える事となったが、皮肉にも兵士達の顔は明らかな落胆の色が浮かんでいたという。

それというのも―――


『世界は汚れているのよ』


王女は呟く。
表情が抜け落ちたように、笑顔は浮べない。
この世の絶望を味わうかのごとく、王女は言う。


『世界は穢れているわ』


王女は部屋に篭り、食事を取らず、誰との面会も望まなかった。
兵士達の話からその話が瞬く間に広がり、誰もが戸惑うように噂をしているそうだ。



―――王女は赤いドラゴンに恋をしていた・・・と



王女は涙を見せる事無く、それを心配した王は王女の好きな赤いバラの花を手向けたという。
それは人の手で育てた、美しいと評判のバラの花で、しかし王女は首を左右に振る。



『レッドの見せてくれたバラの方が綺麗だったわ―――』



王女の言葉から綺麗なモノは何一つ出てこない。
心を閉ざした王女は、その心すら汚れてしまったように呟く。




『世界なんて嫌い』・・・と





**********





夜になった。
壁際に連なったカンロによって、暖色ある柔らかさが明るく足元を照らし、同じくして反対側の壁際に連なっている窓の外には一面の星空がいっぱいに広がっている。
既に夜更けという時間帯という事もあり、皆眠りについている事だろう。
それ故に誰一人として城の者に遭遇しないまま、冷たい灰色の床に敷かれた深緑の絨毯を辿るように歩く度、鉄が擦れあう様な音が妙に大きく響いた。

昼間の活気さが抜けて落ちたアベルジ王国の、夜の静寂に紛れて歩いているのは長身の男―――アーロンだ。

白銀の鎧も今や身軽な軽鎧に変えて、兜も身につけていない。
ただその表情は妙に曇りがかり、口を一直線にしたまま苦渋の顔つきだ。
綺麗に散髪された黒髪と、例え片目が無いにしても凛々しい顔つきは今や女性の中でも好評となっていた。
悪竜を倒した勇者と称えられ、王女を救った騎士と褒められる。
シャルロットの夫として迎えられ、それはとても名誉であり、嬉しい事なのだが、しかし今のアーロンはそれを素直に喜ぶ事が出来なかった。



―――マイ・エデル<僕だけの忠実な騎士>



復讐に怒りが葛藤し、恨みが片目を疼かせる。
しかし今や胸に残るのは、ぽっかりと胸を開けるような憂鬱感だけだった。


「はぁ・・・」


アーロンは疲れた様に息をつく。
ただそのため息も、誰もいない廊下では誰も聞いていない。
アーロンは国王陛下直々に、そしてアゼフ将軍にも同じ事を諭された。


『あの噂を断ち切るためにも、早めに対策を取らねば』



だからこそ―――



『お主にも分っているだろう?シャルロットももう17歳。立派な女だ。そして国民に好感を持ち、ドラゴンに勇敢に立ち向かい、その血筋も正当なお主の逞しい子供ならば、この国を任せてもいいだろう』―――と


勘違いしようも無い言葉の意味を明確に思い出し、アーロンは再び息をつく。
シャルロットが嫌なのではない。


むしろ―――欲しいぐらいだ。


しかし帰還の際に自分を見つめるシャルロットの目はまさしく―――


「皮肉・・・だな・・・」


闇の底に突き落とされたように、生気を失った群青色の両目。

彼女は絶望の中で恨んでいた。憎んでいた。


しかしそれも無理の無い話しである。
愛する者【ドラゴン】を殺した張本人を目の前にして、恨みの欠片も持たないほどシャルロットも強くない。


―――むしろ当たり前の反応だ。


妙に歯切れが悪い結末に、アーロンは何度目とも知れないため息を再び吐き出す。
良かれと思ってやったことが、逆の結果を招いたのだから、アーロンの心中は糸が絡まったように複雑だった。
シャルロットを取り戻すどころか、逆に奪われたままと言ってもいい。
ふいに、アーロンは立ち止まった。

「王女様、せめて暖かいミルクだけでもお召し上がりませんか・・・?きっと気分が落ち着きます」

目的だったその部屋の前に、白い制服と、銀色の鎧を身に纏った者達が立ちすくんでいた。

年若い侍女とその責任者とも言える、少し老けた女官長が顔を曇らせ、兵士が一人防衛として佇んでいる。
アーロンを目にするなり、兵士はその威圧を感じたように背筋を立てて敬礼し、年若い侍女は憧れの人物でも見るように頬を朱色に変えて一礼した。
アーロンは内心でまたため息をつき、囁くように言う。

「―――シャルロット様の具合は如何なものなのでしょうか?」

「起きてはいらっしゃいますが、お部屋に閉じこもりになったままで・・・」

年若い侍女が心配するように眉を寄せ、その手に持っている銀皿に乗った食事を見る。
既に冷めてしまったお粥が乗っかり、随分と前から扉の前に立っていたのだろう。
心底困り果てたよう顔を一目してから、アーロンは頷いた。

「―――私がシャルロット様のお傍におりましょう」

「お待ちください。このような夜更けにレディのお部屋へなど・・・今は十分な休息と睡眠が必要です」

どこか焦ったように声を少し高く、興奮を抑える様にアーロンを留めたのは女官長のアイシアだった。
小皺の入った顔を歪ませて、王女を誰よりも気遣う彼女はまるで王女を守ろうとしてか、アーロンの行く手を阻んだ。

「いくら我が国の恩人にして、大事なお客様であろうとも、このまま・・・」
「ええ、ええ。分かっております」

やんわりとそれを受け止めて、アーロンは彼女の気を宥める様に穏やかな口調で言った。

「それもかつてはイージェスト<奈落者>と呼ばれるような、得体の知れない輩だと警戒なさるあなたのお気持ちも察しております。私もその辺りは懸念しております故。しかし、国王陛下自らが私を頼っておっしゃいました。『身も心も傷ついている彼女の傍で、彼女を励まして欲しい』と。王女のお父上殿のお頼みとあらば―――それも、王女の身を案ずる親心からなるものとあれば、それをお断りする理由などございません」
「・・・」
「どうかそこをお通し下さいませんか」

女官長のアイシアは、沈黙を保ったまま力んでいた肩の力を抜く。
国王の名が出てきてしまえば、女官長という女性の地位で一番高い者であったとしても、口が出せるはずもなかった。
だが、王は一体何を考えていらっしゃるのかと、そうため息交じりに彼女は呟いた。

「・・・。私<わたくし>は、王女様のため―――明日の支度をして参ります・・・。きっとご体調が優れませんに違いありませんもの」

少しの皮肉を込めてそう言い放ち、背筋を伸ばし優雅に歩いて行く彼女の後姿。
心底アーロンが気に食わないと、そう態度で示す彼女の後ろを、慌てる様にして新米の侍女は「それでは」とアーロンに挨拶をするなり、それを追いかけて行った。
残った兵士にもこの場を外すようにと命を下すと、その言葉の意味を悟ったのだろう。
御意と頭を下げて、彼もまた彼女達の痕跡を辿るようにして闇夜に消えていった
それを見送った後、アーロンはまたもやため息を付く。

悲しみに打ちひしがれている女性の初夜を奪うのは、本意ではないのに―――





**********





シャルロットは呪った。
レッドを奪った人達を―――

シャルロットは恨んだ。
レッドを奪った世界を―――

今はベッドに腰掛けて、あふれ出す涙を拭う事無く呆然と目の前にある立派な木で構成された鏡台を見つめる。
そこに写っているのは空ろな表情をしたシャルロット。
その髪の長さは前が長いだけで、後ろは無残にも短い。
服は新しい桃色のドレスへと変え、怪我を負った所も既に治療してある。

それでも―――心の傷は治らない。

例えどれだけ時が経っても、この痛みは消えないだろう。
シャルロットは、力なく乾いた唇を動かす。

「レッド・・・」

名前を呼べば今にも来てくれそうな気がして、何よりもいなくなってしまった事実に涙が溢れ出た。
両手で顔を覆い、シャルロットは何度も後悔した。

もしもあの時出会わなければ―――
もしも誘拐など頼まなければ―――
もしも約束をしなければ―――
もしもあそこに留まっていれば―――

もしも・・・もしも・・・もしも・・・

取り返せない過去を悔やむように仮定をして、ただ自分を責める念しか出てこない。
自分を傷つけるように、シャルロットは何度もレッドの名前を心の中で呼ぶ。

(レッド・・・)


―――シャルの幸せが俺の幸せだ・・・


その優しい言葉が嬉しかった。
けれど・・・


「もう―――幸せになんて・・・なれないわ・・・っ!」


あなたのいないこの世界でなんて―――


ふいに遠慮がちに扉を叩く音に気が付き、シャルロットはゆっくりと顔を上げて右を見た。
新たに誰かが訪問してきたのだろう。
しかしシャルロットは返事をしない。
説得するその言葉を聞きたくないのだ。
今度ははっきりと、再び扉が叩かれた。


「シャルロット様・・・」


恐る恐るといった様子のアーロンの声を聞いて、シャルロットは目を細める。
今まで感じた事の無い憎悪に戸惑いながらも、シャルロットは感情に任せるように言った。

「―――入りたければ入ればいいわ」

その声に反応して、扉は音を立てて開かれた。
もちろんそこにいたのは、最初の印象を覆すほど逞しくなったアーロンの姿。
一礼して、アーロンは部屋に入る。
アーロンの顔を見るたびに、激しい怒りが襲い掛かった。


「私を、軽蔑しに来たのですか?ドラゴンに恋をした私を―――」
「・・・怒っていらっしゃるのですね?」
「怒っているわ。憎むぐらいまでに―――」

アーロンは静かに息をつき、ゆっくりと静かに扉を閉める。
シャルロットは涙を拭ってから柳眉を寄せ、アーロンを睨みつけた。
今まで誰かを恨むような事はなかったのに、奪われた悲しみは怒りを呼び寄せるばかり。

「聞いたわ。私―――あなたのモノになるのね・・・」
「不服を訴えますか?」

静かに傍まで近づくアーロンの強張った顔を見上げながら、シャルロットは無言のまま首を左右に振る。

「―――いいえ。私は王女です。国を繋ぐ人形。これが私の本来の務めです。不服など滅相な事よ。アーロン様・・・」

アーロンはその事に関して安堵したように息をついた。

「―――あなたは私を受け入れてくださると?」
「そうね。そうするべきなのでしょうね」

ただ淡々とした答え。
シャルロットにとって、もう全てがどうでもいいように思えた。
アーロンは無言のままシャルロットをベッドに押し倒す。
シャルロットは抵抗する事もなく、ただベッドに横たわった状態を保った。
穏やかな眼差しを眺めながら、それがレッドの優しい眼差しと重なり合う。


―――シャル・・・


レッドが良かった。
その姿が違ってもレッドが良かったのだ。
他の誰でもない・・・レッドという男をシャルロットは愛した。
胸が苦しい想いから、シャルロットの目頭は更に熱くなる。

火傷の跡が痛み、しかし心の痛みに比べればこんなのは―――

レッドは、自分が幸せなら幸せだと言った。
レッドを―――幸せにしたい。

だから―――・・・



(幸せに・・・なりたい・・・っ!)



シャルロットの目じりから涙が零れた。
アーロンはそんなシャルロットの様子を見下ろしながら、何もせぬまま見つめる。

「私はあなたを処女を奪いますよ?」
「―――奪えばいいわ」
「それは任意と言ってよろしいんですね?」

アーロンはあくまで強制はしない。
アーロンの優しさがレッドと重なる。

それでも、レッドの優しさが欲しかった―――

シャルロットは静かに、ただ泣き声を押し隠すような小さな声でアーロンに言う。

「―――私の体は国のもの。国に選ばれたあなたは私の夫なのでしょう?だから処女を奪ってくださっても構わないわ。けれど―――」

シャルロットは涙を拭う。
潤んだ視界をはっきりとしたものにして、シャルロットはアーロンを真っ直ぐと見上げた。
アーロンの精悍な顔つきは僅かに驚きの色を露にする。


「けれど―――私の心はあなたにあげれない。私をレッドから奪う事は、盗賊<イージェスト>だったあなたにも出来ないわ」


凛とした声音―――

そこに恨みの一切も無い。
ただ誇るようなシャルロットの言葉に、アーロンは息を呑むように無言となった。
それから、そのままの状況がしばらく続いた。
シャルロットは涙を飲み込み、ただアーロンをその青々とした両目に映し出すだけ。
譲らないシャルロットの瞳に、アーロンは尋ねた。


「―――あなたは、いつか。いつかでもいい。私を愛する事が出来ますか?」
「私はレッドを愛しているわ。それはこれからもよ。だから、それは出来ないと思うの」
「・・・そうですか」

どこか諦めたような溜息をついて、アーロンはシャルロットから身を引くと、そのまま踵を返した。
予想外ともいえるアーロンの態度に、シャルロットは身を即座に起こし、そのまま扉に向かったアーロンを、シャルロットは呼び止めた。

「アーロン様?」
「例え身なりが盗賊であろうと騎士であろうと―――それでも人から何かを奪うのが主義にして勤め。ならば、私はあなたの心を奪うチャンスをじっと待つことに致しましょう。私にも騎士道精神はありますからね。傷ついた少女を無理やり抱く悪趣味は私にはありませんよ」

背を向けたままアーロンは、どこかそっけなくそう告げた。
そのまま扉の外へと出ると、一度だけシャルロットに向き直り、片腕を曲げて深々とお辞儀をする。
それは忠実な騎士そのものの挨拶だった。

「―――ご無礼を働きました。お許しください。・・・どうぞ今宵はごゆっくりお休みくださいませ。シャルロット様」

シャルロットは強情を張るように、閉じられた扉に向かって叫んだ。


「私はレッドしかもう愛さないわっ!」


―――しかしシャルロットの断固としたその想いは、瞬時にして変わることとなる




**********





シャルロットはいつの間にか訪れていた朝に、眩しそうに目を細める。
どうやら枕に顔を埋めたまま寝てしまったようで、その枕には湿ったような後がまだ残っていた。
しかし何故倒れこむように寝台の上で寝ていた自分が、ベッドの中に入っているのだろう?

誰かが厄介してくれたのだろうか。

靴も履いていないようで、現状が昨晩と違う事に疑問を持つ―――それでも疲労感にシャルロットは動く事をしなかった。


―――レッド・・・


シャルロットは、レッドの後ろ姿を脳裏に浮かべ、涙ぐむのを知った。

微笑む赤い目―――

もうあれ以上綺麗な赤を知らない。

―――『シャル』・・・

もう一度、名前を呼んで欲しかった。
あの声でもう一度。憎まれてもいいから、傍にいて欲しかった。

苦しい―――
寂しい―――

痛みで胸が張り裂けそうだ。


―――もう・・・嫌・・・


シャルロットは再び顔を枕に埋めた。
愛する事は素晴らしいと思う。
だけど、ここまで苦しむ事になるとは思わなかった。

失う事がこんなにも痛いのは、愛してしまったから―――・・・

レッドを嫌っていれば、きっとこんなにも悲しまなかっただろう。
けれど嫌うなんて出来ない。


(レッド・・・っ!)


シャルロットは枕を力いっぱい握り締めた時だった―――




「―――天気の良い朝だとは思いませんか?せっかくの暖かさも、こう暗幕で覆っては恩恵に預かれないというもの。日に当たれば、曇りがかった気分も晴れることでしょう」



後ろから聞こえた穏やかな、それでいて優しい声音は低くはあったが耳に心地よい音だけを残していく。

(・・・っ!?)

シャルロットはそれはもう文字通り飛び起きそうなほど驚き、ゆっくりと枕から顔を外す。
恐る恐る向かい側の窓を見れば、既にカーテンは開かれ、そこに誰かがいる事は分ったが、どんな姿をしているまでは太陽の光が眩しくて直視出来ない。
少なくとも若い青年のようで、その纏った服は高貴な印象を秘めた、白のひらひらとした衣装のようだ。
シャルロットは熱い目頭を拭いながら、無礼にも勝手に入ってきている侵入者に目を丸くした。

「あなた・・・誰・・・?」
「―――お初にお眼に掛かりますね。アベルジ・プリンセス<アベルジ王国の王女様>。私は隣国<レドリスト>の使者・・・とでも名乗るべきか・・・。恐れ多くも、ご婦人の寝室に無断で立ち入った事、お許し下さい」

慣れた手つきで片手を胸に置き、頭を垂れるその仕草は皮肉を込めた粗忽などではなく、敬意を込めた優雅な仕草として見て取れた。
高貴なその印象は好感を誰もが持ちそうだが、王女の眼にそんな行為すら皮肉めいて見えてしまう。

「―――隣国<レドリスト>の方が・・・早朝から一体何の御用なのでしょう・・・?・・・第二王子殿がご立腹だとか・・・?でしたら今の私のありのままをお伝えくださればよろしいわ。髪も無残で傷だらけ。今私とお話しても、ちっとも楽しい事は無いでしょう、と。それでも私が欲しいのだとおっしゃるなら、もう何でもよろしいわ・・・。人質でも貢物としてでも、私を突き出してしまっても構いません・・・」
「私は公務でこの場を訪れた訳ではありませんよ。それに、あなたのおっしゃる不人情な事も致しません。―――ただ私は、あなたとお話がしたかった」
「・・・。私は今、お話したい気分では、ないんです・・・」
「―――ならばせめて。せめてこの場にいる事をお許し下さい。私が口にする言葉も全て一人事だと思って下れば結構です」
「・・・」
「それにしても、清々しい朝ですね。太陽がこんなにも眩しくて、空はこんなにも青い」

青年は窓の扉を開けて、ゆっくりと背伸びをする。
シャルロットは太陽の光に目を細めながらも、必死にその姿を捉えようとしたが、寝起きの自分ではそれが敵わない。
青年は深呼吸をし、続いて惚けるように呟く。


「―――なんて、綺麗なんだ」


その言葉に、シャルロットは顔を曇らせた。

「・・・。それは違うわ。世界は汚れているの。ただそう見えるだけよ。少しでも違うものがあれば、人はそれを徹底的に排除しようとするんですもの。同じ命を同等に扱わない世界なんて―――」
「おや?噂では、たとえ羽虫が目の前で死んでしまえば、それすらも悲しんでしまうほど慈悲深き方だとお聞き致しました。そんな心優しきあなたが世界を嫌うなど、一体どうされたのです?」

俯き加減のシャルロットの言葉を遮り、陽気な声が質問してきた。
シャルロットは、即答する。

「―――こんな世界なんて、嫌いだわ」
「何故です?世界はこんなにも美しいのに・・・」
「私の幸せを奪ったから」
「あなたの幸せ・・・ですか?」
「ええ。私から愛する人を奪ったの・・・っ!たった一人の・・・。なのに、何故好きになれるというんでしょう・・・!!」

レッドの笑顔が再び目に浮かぶ。
涙ぐみ、シャルロットの声は消えそうなほど小さくなる。
すすり泣く声だけが部屋に響き渡り、無言が生じた。
それに終止符を打つように、心地よい青年の声が静かに言う。


「―――あなたは、あの赤いドラゴンが・・・『レッド』が好きなのですか?」


「ええ・・・っ!」
「―――もう、他の人を愛する事は?」
「出来ないわ・・・っ!」

シャルロットは声を押し殺しながら、ぽろぽろと涙を零す。
心が解放されていくような心地に、不思議な違和感を覚えた。
何故こんなにも、気持ちを言葉に出来るのだろう。

不思議だ。

まるで『レッド』といるみたい―――・・・

青年は、シャルロットに背を向けたまま語るように言う。


「―――あなたは世界を嫌いとおっしゃる。なら、私はあなたのために愚かで救いようの無かった王子の物語を捧げましょう」





**********





―――昔々

ある国に一人の王子様がおりました。
その容姿は国の一・二を争うほど美麗で、将来は第一王子を退いて王になるとまで言われたほど優秀な青年でした。
しかし、その青年は嫌われていたために、その将来は約束されなかったのです。
その赤い目は不吉だと―――悪魔を宿して生まれてきたのだと忌み嫌われたのでした。
だからこそなのか、青年の性格もまた悪魔に乗り移られたように冷酷で、毎日のように人の心を傷つけていたそうです。

青年は人々を憎んでいました。
青年は世界を憎んでいました。

赤いだけで嫌われる事に、青年は嫌気がさしたのです。
嫌われる事を青年は、恐れていたのかもしれません。

だからこそ、相手が嫌っている部分を口にしては、その心を傷つけていました。
青年にとって、それしか自分を守る方法を知らなかったのでしょう。

そんなある日―――ある事件が起こりました。
その青年は見習いの魔女から愛を語る告白を受けたのです。
その魔女の顔には大きな傷跡があり、とても美しいとは言えない姿でした。
しかし、人の愛を信じられない青年はその魔女を『醜い』と言葉で傷つけ、その顔をあざ笑ったのです。

―――自分の方がよっぽど綺麗だ・・・と

青年はついには憎まれてしまいました。
魔女は泣いて泣いて、そして恨めしそうに言います。

『あなたはその目を閉じ、何も語らなければ美しい。けれどあなたの心は穢れている。泥沼のように、汚れている。自分の心がどれだけ汚れて醜いか思い知ればいい。世界中に恨まれ、永遠にその姿でいなさい』

更に魔女は言いました。

『その姿こそあなたの『レッド』<嫌い>で出来た姿。あなたの心そのもの。その醜い姿で愛されるものなら愛されてみるがいい』

魔女は―――青年に呪いを掛けたのです。
青年は記憶を失い、赤いドラゴンになりました。
ドラゴンは、呪いを解く為に必死に『あるモノ』を探しました。
まるで呪文のように、ドラゴンの頭に浮かぶ言葉を辿り、必死になって求めたのです。


―――そして


ドラゴンは一人の少女と出会いました。
身も心も美しい、華麗な王女。
そのドラゴンは一目で恋に落ちました。
同時に嫉妬し、忌み嫌い、それでも王女が好きになりました。
王女の陽気な心に、ドラゴンは惹かれたのです。
ドラゴンは王女に自分の『嫌い』を否定され、ようやく自分が好きになりました。
『レッド』<嫌い>はどんどん消えていきました。
同時に、ドラゴンも赤≪最強≫がなくなっていき、最後には・・・。

それでも―――ドラゴンは十分でした。
王女から、呪いを解く呪文を得たのですから。


それこそ―――『世界で一番美しいモノ』・・・


ドラゴンは―――青年のレッド<嫌い>は、この世から消え去りました。
その青年は永い眠りから目を覚まし、愛しい王女の元へ・・・


そして―――・・・




**********




「―――そして、その青年はようやく会う事が出来たのです」

青年は、歌うように語り終えるとゆっくりとシャルロットの方に向き直る。
シャルロットは目を見開いたまま瞳孔を小さく揺らし、ただ呆然と目の前にいる青年を凝視した。


―――まさか・・・


太陽が少し傾き、そしてシャルロットも今の話で目が覚めたために、青年の姿をはっきり見ることが出来た。
ゆっくりと、高鳴る鼓動を抑えて、シャルロットは初めてその青年の容姿を一瞥した。
青年は、シャルロットに向かってゆっくりと歩いてくる。
一本に結わった長髪の色は、人種が違うのを現す綺麗な海を写したような薄い青。
その服は白で統一され、それでも派手という訳ではない高貴を秘めた印象はその青年によく似合っている。
白い肌はまるで病人を思わせるように色が抜け落ちていて、それでも美青年に相応しい力強いその微笑に魅了される。


何よりも―――


その穏やかな目の色は、綺麗な『赤色』―――ただその片目は包帯に巻かれていた。


―――その『人』を・・・知っている・・・


初めての対面は、水の中―――


青年は、シャルロットと目線を合わせるように、ベッドの横に片膝を立てて屈んだ。
穏やかに微笑を浮べたまま、青年の声が続ける。

「―――僕は君を愛している。世界中の誰よりも、誰よりも愛している。僕にとって、君が『世界で一番美しい者』なんだ。だからね、僕は君に愛してもらえるまで何度だって同じ事を言うよ?『愛している』って・・・。けどやっぱり、『あの』の姿の方が良かったかい?」

少しからかいを含んだ口調穏やかに。
どんなルビーよりも真っ赤に燃え上がる情熱の宝石はただシャルロットを映し出す。
シャルロットは、恐る恐るその名を口にした。




「『レッド』・・・?」



美麗の青年の口元が深く笑みを作り、目元が和んだ。




「―――なんだい?『シャル』・・・」




シャルロットをその独特の愛称で呼ぶのは、誰でも無い一匹だけのはず。
呼んで欲しいと願っていた愛称で、今呼ばれたのだ。

だから―――・・・

シャルロットの顔が―――みるみる花を咲かせるように綻ぶ。

会いたかった。
もう一度―――もう一度会いたかった・・・っ!


声も姿も違う。
それでも分るのだ。
その心を愛していたシャルロットには、何の悠長も無く悟ってしまう。


「―――レッドっ!」
「シャル・・・っ!」

シャルロットは青年に抱きついた。
青年もまた嬉々とした、飛び跳ねそうな声でシャルロットを呼び、二人は熱く抱擁を交わす。

「やっぱり世界は美しいのよっ!」
「ああっ!美しいとも!」
「やっぱり世界は綺麗なのよっ!」
「ああっ!綺麗だっ!」
「レッドっ!」

はしゃぐようなその声に、青年は少しばかりはにかむ様に笑う。

「・・・シャル・・・。僕はもうレッドじゃないよ。『オリオン』。隣国の第二王子―――オリオン・グローリーだ」

シャルロットは目を丸くし、体を離す。

「・・・隣国の・・・第二王子・・・」
「そうだよ。僕はオリオン。君と婚約するはずだった男だよ。病気だって言われていたけれど魔女に眠らされ、ずっと寝台に伏せていた。その間、僕は自分の<嫌い>で出来たドラゴンの姿で、ずっとずっと彷徨っていたんだ。ずっとずっと・・・呪いが解けるまで・・・ね。だからレッドは消えなければ僕は目覚められなかったんだよ。額の呪いを壊してくれたのは、シャルロットが僕を愛してくれたからだ。シャルが僕を目覚めさせてくれたんだ!!」
「私・・・・が・・・?」
「そうだよ。シャルが、アベルジ王国の王女ではなく、君自身が。―――だから、目覚めて考えた。どうやったらシャルを幸せにしてあげられるか。それでね。―――ねぇ、シャル。僕は貪欲だ。君の幸せを願いながら僕も幸せになりたいと思っている。だから―――」

次の言葉を聞いた瞬間―――シャルロットは限界までに目を見開いた。




「一緒に幸せになってみたい。君と、僕とで・・・」




ああ。なんて―――・・・

なんて、こんなにも嬉しいと思うのだろう。
心が振るえ、体が振るえ、シャルロットは涙ぐみそうになるのを必死に堪えて笑って見せた。
嬉しい。嬉しい。
彼女はようやく手に入れたのだ。

望んでいた、未来を―――



「レッド・・・!!ああ、レッド!!間違いないわ。間違いなく、私を幸せに出来るのは、あなただけなのよ・・・!!」
「シャルっ!」

歓喜にオリオンは声を上げて、その白い手を伸ばしてシャルロットの頬に触れた。
オリオンの顔が近づいたかと思えば、その唇に優しく触れる感触に驚く。
直ぐに離したかと思うと、更に今度は深く口付けをされて、経験した事の無いその行為にシャルロットは顔を赤らめた。


「レ・・・っ―――」
「オリオンだよ」

主導権をオリオンに握られたこの状況では、シャルロットはなされるがままだ。
何度も与えられる深い口付けは、シャルロットを甘く溶かすものだった。

しかし恥ずかしいものは恥ずかしい・・・―――

シャルロットがオリオンの胸を押しのけて、酸素を吸うように大きく呼吸を繰り返す。

「オ・・・オリオン・・・っ!」

オリオンは笑った。

「なんだい?シャル。口付けは挨拶代わり以外の何者でもないんだろう?」

陽気なその声は、どこまでも優しい。
ふいに、少し大きな声を出して、オリオンは叫んだ。

「―――ふふ・・・。アーロン。僕との口付けだと、シャルはこんなにも恥ずかしがってくれた。君のキスは本当に挨拶代わり以外の何者としても受け止められた無かったようだねっ!大満足だっ!」

くつくつと影を落として笑うオリオンにシャルロットは目を丸くする。
無言のままドアが開き、そこから顔を出したのはアーロンだった。


「アーロンっ!」


アーロンは不機嫌そうに眉を寄せたまま、それでもシャルロットに向かって深々と一礼する。
扉を閉め、それからアーロンの顔つきは僅かに穏やかになった。

「―――オリオン。お前は最低だ。人の花嫁を掻っ攫うなど・・・」
「何言ってるんだい?人妻を奪う際の公式な決闘方法で、正式に奪ったんだからいいじゃないか。君の方がよっぽど酷いだろうよ。ほら、ごらんよ。もう病み上がりの体を思う存分君が叩いてくれたから、体が悲鳴を上げているじゃないか」
「ふん。しばらく寝たきりだったお前にはいい運動になっただろう」

シャルロットは、仲のいい二人に少しばかり首を傾げた。
たしかアーロンは第二王子を憎んでいると聞いたのだ。
それなのに、何故こんなにも穏やかなのだと不思議に思う。

そして―――


「私・・・アーロンの妻になったのではないの?」


オリオンは再度微笑みをシャルロットに向け、説明した。


「実はね・・・―――」




**********





(そんな馬鹿な・・・!!)

レドリスト第二王子の訪問に、誰よりも驚いたのは、他の誰でもないアーロンだ。
嘗ての主人であり、己の騎士生命を奪った、その人である。

間違いなく、あのドラゴン<彼>は殺したはずなのに―――

(何故、奴がここに・・・!!)

それとも、あのドラゴンと彼に関わりは無かったというのか。
密会の部屋から出てきた嘗ての主。





―――マイ・エデル<僕だけの忠実な騎士>





そう、己に馴染み、信頼を寄せて呼んでくれた。
右腕を勤める事もあれば、背中を合わせて共に命を預けた事もある。
けれど、生じてしまったすれ違いは大きな溝となり、とある日にその悲劇は起こった。
それは己の弱さで、多くのものを失いたくなかった己の傲慢さからこうなってしまったという自覚はある。




最初に、『彼』を裏切ったのは他でもない、自分<アーロン>だったからだ。




合金の扉を、両端から将軍自らが開ける。
開かれたその部屋から、見覚えのある白い衣装を身に纏った男が出てきた。

「どうぞ、こちらです。オリオン王子」
「ありがとう」

声変わりをしていても、相変わらず彼の声は中性的にしてどこか魅力があった。
それはまるで歌を誇りにする、亜人の麗しき美声そのもの。
少し俯き、赤い絨毯を辿れば、直ぐそこに。
整った顔はあまりにも病弱の色が濃く、やはり病み上がりの事だったのだろう。
片目を包帯で覆うのは何故だ―――嫌でも悪夢に出て来る赤い目が零れ落ちそうなほど見開かれる。
さぁ、どう反応すれば良い。
彼に抉られた古傷が、トラウマ<恐怖>を訴えて疼き出す。
これは怒りでも無い。彼の存在が恐ろしいのだ。
そう自覚してしまった途端、アーロンはこちらを真っ直ぐと見つめるその眼から逃れられなくなっていた。
やはり来るのではなかった。本当に彼が来ているのかと、そんな事を確かめになど来るのではなかったのだ。
まるで責められているようで、脚が床に縫いとめられたまま動けない。
無言のまま、彼が近づいてくる。
こちらを逃がすまいと、その赤目が自分を捕らえて。

来る。
来る。

来る―――!!

罪を攻め入るように、彼が―――・・・
手が伸びた。
ピアノを弾くのに最適な、長いその指先が立ち止まったままのアーロンの肩に触れた瞬間だ。
アーロンが、オリオンの手を荒々しく払いのけてしまった。

「アーロン様・・・!!何を!!」
「アーロン殿!!」

その現場を見合わせてしまったアゼフ将軍ともう一人が我が目を疑い、声を無くす。
彼は嘗ての主とはいえ、君主に手を出してしまったのだ。
オリオンは無言のまま払いのけられた手を見つめていた。その顔に笑顔も何も無い。
ただ無がそこにある。

「・・・。アーロン」

その眼が、アーロンを射抜く。
それだけで、嘗て敏腕と威信の眼を受けた誇り高き騎士は背筋が凍りつく思いだった。

「何故・・・お前、が・・・!!」
「アーロン」

不意にオリオンの腕が持ち上がった。
かと思いきや―――






「痛いじゃないかっ!!」






バチンッと、高い天井に彼の怒号と叩き落とす音が響いた。
アーロンの顔に鋭い痛みが走り、強制的に顔が横を向く。しかし今は驚きの方が上だった。
気が抜けて、思わず口をぱっかりと開けたまま少し身長の低いオリオンを見下ろす。
アゼフ将軍達もどうしてよいものやら。反応に困るよりもまず、思考を停止させてこちらを凝視していた。

「ちょうど良かった、僕は君を探していたんだ」

先ほどの怒った様子も無く、オリオンは言った。

「この国には女性をめぐった決闘が出来るのは知っているかい?」

なんだその勝ち誇ったような眼は。

「たとえその女性が誰かの配偶者でも、決闘で勝ち取る権利があるんだ。ただしそれはその妻の夫である君と彼女の両親―――つまり国王が許可した場合のみらしい。最初は君にならば許してもいいと思った。けれどね、僕は傲慢だから、欲しいと思ったらどうしても欲しくなるようだ」

何を言おうとしているのか分らない。
しかし嫌な予感に、戸惑いながらもやはり彼はどこかさっぱりしたような笑顔で、腰のレイピアに触れた。





「『シャル』は僕が幸せにする」





瞬時にして、彼はその剣をアーロンの首筋に当てつけ、そう公言したのだ。





**********






決闘場所は、国王所見の元―――王間に設置された環状を利用する事となった。 それにしても、オリオンは剣の扱いを苦手の類としているというのに、そんな彼に何故決闘が出来ると言うのか。
何も反論できず、何も出来なかったアーロンは、それでも古傷の怒りをかき集めて己を高め続ける。
いつも木の棒を振るように軽い剣が何故かその時だけは、錘をつけたように重かった。
騎士に剣で太刀打ちなど出来ないオリオンを時間内に『参った』と言わせればアーロンの勝ち。
時間内に『参った』と言わなければオリオンの勝ちとのルールに、オリオンは唯一扱えるレイピアを握った。

しかし試合開始と共に―――


『―――僕は怒っている。とても怒っているんだよ、アーロン・・・』

戦う姿勢は一切見せず。しかし、オリオンが不機嫌である事は、深く掘り込まれた眉間の皺の数で分る。
レイピアの矛を真っ直ぐアーロンに突きつけ、彼は厳かな様子で語りだした。

『君は僕を裏切った。僕に絶対の忠誠を誓ったのにも関わらず、だ。僕がどんな気持ちだったか、君に理解できるか?・・・いや、理解など不可能だ。決して理解など出来やしないだろう。ならばせめて。せめて聞かせてもらおうか。―――何故君は僕を裏切り、兄上の党派へと寝返った・・・!!』

周りは息を呑んだ。

よくある話だが、それを公で堂々たる風に話す事に狼狽すらしてしまう。
しかし、アーロンは力なく、でも確信を持ってそれを否定した。

『―――私はお前の元を離れた。裏切った、と言われれば、それを否定出来ない。だが、私は確かに最初お前に告げたはずさ。見切るような真似をすれば、私はお前の元を離れると』
『お前は僕を見切ったと言うのか・・・?この僕を?』

オリオンの心外だとばかりの表情はだいぶ険しい。

『・・・こういえばお前はただの言い訳というかもしれない・・・。だがな、整理のついた今なら話せそうだ。・・・いや、今だからこそ告白しよう・・・!』
『白々しい・・・!!お前は僕を裏切ったんだろ!?』
『違う!!お前は私が―――俺が何者だったかを忘れたか!!俺が何に誇りを持っていたのかを忘れたか!!俺はアル・エデル<拮抗の騎士>だ!!王族なんぞのために忠誠など誓うものかと決めていた俺が、心底惚れた男がお前だった。お前のためならば何だってやろうと誓った。だが―――・・・・』

不意にアーロンの眼には戸惑いよりも忘れかけていた怒りを煮立て始めていた。
それはもはや独語に近く。

『―――お前のやり方を、俺は認めるわけにはいかない・・・っ!!』

アーロンの握り締める剣が力んで震え始めている。
それは君主に対する畏怖などではなく、相手の権力を鼻先で笑っていた―――そんな頃のアーロンの眼がようやくオリオンを凝視した。
にらみ合いが続き、周りで決闘を見守るアベルジ王国首相や将軍・騎士達は生唾を飲んでこの様子を伺っている。

『歯向かう者に制裁を与える事は当然の事。だが、力を持たぬ弱者に同じ事をすれば、それは単なる暴行でしかないと、どうしてお前にそれが分らない!!』

怒涛の叫びはまるで目の前が揺れているようだ。
あまりもの威圧に、呼吸の仕方が一瞬分らなくなる者も出るほどだった。

しかし、いたってオリオンは冷静で―――

『神のために神殿を作れ。―――作ってやったと思えば、今度は経費がかかるからそれを寄こせ。仕方なしに与えれば、実はその金を私利私欲に神官共が使っていた。それを知って、奴ら全員に罰を与えてやれば、今度は逆恨みもいい所。『神のお告げだ。悪魔の子・第二王子<自分>を殺せ!!さもなくば国は間もなく滅びるだろう』と神官共のありがたいお告げときた。そうして人の話も聞かずに襲い掛かってくる信者共―――男共だけじゃなく、女子供もな。『殺せ!!やはり悪魔の子!!』。鎮圧して何が悪い―――何が間違いだとお前は言うんだ?鎮圧という言葉に武力は付き物だろう?ならばお前なら武器を手にした女子供をどうやって説得し、鎮圧してくれるんだ?力を使わずにどうやって?神を心底信じる奴らに『神からの受託は間違っている』とでも叫びながら説得するか?―――はん、やはりお前ならいつもの調子で『会談』とでも言うんだろうな。愛があれば救えると告げる神官同様に』
『ああ、そうだ。間違ってなど無い!!お前が正しかったさ。それだけだったならばな!!』
『・・・』
『だが、お前は神官全員を、信者全員を・・・事件とは全く無縁の市民をも火あぶりで殲滅するなど、何故そんな残酷な事が出来た!!』

不意に、オリオンの残った赤い瞳に影が掛かった。
そこに、感情など無論無く。それはやはり人を捨てた王の顔だ。

『―――じゃあ、どうすれば良かったのさ。君ならば、家族を殺されて、それを天命だったのだと納得出来るか?神官共のあのうるさい口を塞ぐ方法は他にあったのか?・・・?教えてくれよ、正しい方法を』
『ならば何故!!』


―――何故!!


アーロンは大きく剣を振り上げて、オリオンに初めて襲い掛かった。
オリオンもそれが分っていたようで、レイピアの刃を両手で支え、真上から振り下ろされたアーロンの剣波に、歯を食いしばって耐える。
力量は例え片目を失って衰える事は無く、オリオンの額には冷や汗が浮かんでいた。
アーロンは吼える。獣のように。




『何故俺に言わなかった!!何故そんな重大な事を!!お前は俺にそれを知らせる事無く、極秘でそんな『事故』を起こして鎮圧させた!!俺を『右腕』だと言ったお前が、俺には告げずに、相談もせずに!!それはお前が俺を、この俺を信用していなかったからだろう!?』




それこそが失望の理由。
己では彼を支える権利すら与えられなかった。
全てを捧げてきた。全ての信頼を寄せていた。



しかし、彼<主>は―――・・・・



『言ってどうなった!!優しい優しいお前に弱者を切り殺す勇気はあったのか!!無情に、非道に殺す覚悟が、お前にはあったというのか!!』
『無い!!そんな覚悟など!俺にそんな覚悟などいらぬわ!!俺はイージェスト<奈落者>に落ちようと、身が腐っても騎士だぞ!!善人を守るのが勤めだ!!それでも俺がその時出来た事がある!!それはオリオン―――お前を止める事だ!!別に方法があると、お前に進言してやれたはずだ!!』

きっぱりと、そういい切ったアーロンに、今まで険しく陰を射したように暗かったオリオンの表情が僅かに微笑んだ。

『いい奴だ。アーロン、君はやっぱり優しいよ。優し過ぎるから大嫌いなんだ。なんせ、僕がやってきて事がまるで否定されるようだからね』
『俺だってお前みたいに血も涙もない横暴者なんぞ糞食らえだ!!王以前に人としてどうかしている!!』

既にアーロンに恐怖心の一欠けらも無く。
鼻先で笑い飛ばすその光景はまさに『エル・エデル』<背徳の騎士>の名に相応しい。

『ふん。そんな事は今更だ。僕は王になる男だぞ・・・!』

苦しさに、オリオンの顔は笑みを上手く浮かべられず。
それを隠すように、オリオンは渾身の力でようやくアーロンの剣を振りほどけば、更にアーロンは襲い掛かる。

『この独裁者め!!お前に彼女を託すなど持っての他だ!!』

手加減の一切は無く、迷いの微塵も無かった。
ついにオリオンのレイピアは除外へと飛んでしまい、アーロンはオリオンに差し迫った。


『降参しろ』―――と・・・


しかしオリオンは頑として譲らず、それが癪に障って色々と体を痛めつけた。
それでも譲らないオリオンに、アーロンが怯んだほどだ。

『降参だって?それは出来ない相談だよ。僕はシャルを愛しているんだ』
『・・・私もシャルロット様をお慕いしている』
『僕はそれ以上に好きなんだ』
『ならばそれを証明して見せろ』
『―――酷いなぁ、僕は狩人<スナイパー>だよ・・・っ!!至近戦に弱い事を知っていながらの皮肉かい・・・?』
『降参しろ。お前に俺を倒せるはずが無い』
『僕はシャルを愛している。世界で一番愛しているんだ。きっと彼女も僕を気に入ってくれるはずだ』
『自惚れも堂々と言えば呆れも何も無い。むしろその自信を褒めてやろう。精々負け犬らしく吼えるがいいさ』

二人の間に、恨みも復讐の欠片も無かった。
ただ―――分かち合えたように、二人の空気は穏やかになったのだ。
それはきっと互いに怒りと憎しみでぶつかり合い、互いに奪い合った後に、残ったものが何もなかったからなのだろう。

そして、決着はつい先ほど。

既に手の豆が出来て潰れるほど剣を握り、脱臼をしながらも諦めなかったオリオンに、アーロンはついに折れた。
最終的にはアーロンの方が降参し、シャルロットをオリオンは手に入れたのだった。




**********





「―――という訳だよ」

満足そうにオリオンは微笑み、少し納得できないアーロンは腕を組んで眉を寄せていた。
その意味を明確に知ったシャルロットは顔を喜びに明るくする。

「それじゃぁ・・・私―――・・・」
「シャル。僕だけの世界で一番美しい女性―――君は僕のものだ」

歌うようにオリオンがそう囁き、シャルロットの両手を包むようにオリオンは握った。

二人は喜びに顔を見合わせ、既に二人の世界へ突入するような気配に耐えかねたのは他ならぬ―――


「―――私はどうやら邪魔者のようだ。これで失礼する・・・」


場の空気を読み取ったアーロンがドアに向かって歩き出せば、オリオンはそれを引き止めた。

「アーロンっ!祖国<レドリスト>に戻って、僕の近衛騎士に復帰するつもりはないかっ!地位も名誉も全て返還するっ!新しい称号も与えたいっ!」
「・・・」

一体どういうつもりか―――・・・アーロンの漆黒は同情を許さないと忌みを含め。
やはり彼も自尊心の高さを誇りとするレドリー人だった。久しぶりの再会時の、うろたえる姿など彼らしからぬ様だったのだから。
以前の偉業といい、今では『らしさ』を取り戻した様が、オリオンとしてはどうしても取り戻したかったのだ。

「僕の片目は無い。君の片目も同じだ。二人でちょうど一人前―――どうだろうか?僕の右腕として、『エル・エデル』<背徳の騎士>として、僕の背中を守ってくれないだろうか」

アーロンは小ばかにするように鼻を鳴らした。少し剣幕な表情でそれに答える。

「―――はっ。頭の打ち所が悪かったか?血迷い事を・・・」
「まだ根に持っているのか?」
「そうだな・・・。一生この事を忘れやしない」
「・・・」
「だが―――許すさ。お前が俺を許したように」

まるで弱みを握った政治家のような笑みを深く。
しかし、その笑みも笑止とばかりに険しさへと変わった。

「だがな、与えられるのは屈辱。そんなものを受け取るつもりは無い!!」
「・・・。なら、―――お前はこれからどうするつもりだ?このアベルジ王国の勇者として仕えるのか・・・?」

少し演技染みた動作で、アーロンは己の顎に指を添えた。
目を丸くしているシャルロットを見ていたかと思うと、ふっと緩んだ微笑を浮かべる。

「俺は『最強』<エデル>を手に入れた男だ。しかし、残念ながら、それが認められたのはアベルジ王国と祖国のみ。しばらく己の腕を磨く旅に出ようと思う」
「そうか・・・」

明らかな落胆を見せて、オリオンはため息を零した。
ふいに、アーロンは笑った。それも、子供のように無邪気な様で。

「しかし、お前のような横暴者を野放しにすれば、シャルロット様がお可愛そうだ。一度捨てたとはいえ、祖国の民もこんなのが王になれば苦労が絶えないだろうに・・・」
「やっぱりお前の様な野犬なんてこっちから願い下げだ!!」

機嫌を損ねたオリオンが腕を組んでそっぽを向いた。
それを、シャルロットが笑みを零しながらその腕に触れて宥めに掛かれば、悪戯を思いついたアーロンは半目で口端を吊り上げる。

「シャルロット様。彼奴はこのような短気者。癇癪を起こすわ、直ぐ機嫌を悪くするわ。その癖、悪戯癖が絶えず、あなた様の事を考えますと、大変心が苦しい。このアーロンが今後、あなた様をお支えになれますよう精進して参ります。そう、もしもオリオンが・・・。『我が主』<マイ・ロード>が女癖に走った日には、是非とも私めを―――」
「まぁ・・・」
「アーロン!!」

それはオリオンの悲鳴に近かった。
目を丸くしていたシャルロットを獲られると思ったのか―――自分の方に抱き寄せて、獣のように威嚇する。
その様はたまらずおかしかったのか、アーロンは声を上げて笑うのだった。

「―――そうだ・・・。それでいい。彼女を優しく包み込んで、決して離すなよ。オリオン」
「・・・」
「今後どんな困難に遭遇しようと・・・。例え国の命運を握る事になろうとも、決して彼女を不幸にするな。泣かせるな。幸せにしろ。もしもの事があれば私は容赦無くその腕から奪っていくからな」
「何故お前にそんな事を言われたくては・・・」
「俺はその機会を伺うために、地位も名誉も―――全て自分の手で奪ってやる。だからこそ―――首を長くして待っていろ。俺はお前の元に必ず戻ってくる。必ずだ!!」

一瞬戸惑うようにオリオンは目を丸くしたが、それでも力強く頷く。

「―――好宿敵がいなくなる事ほど平和で穏やかな事は無いが、生憎暇は嫌いだ。・・・気長に待つさ」
「俺が戻るまで精々、悪名高い宰相やら貴婦人殿に居場所を奪われないよう、守っておけよ」
「ふん。言われずとも」

アーロンも最後は微笑んで、扉を開けた。
その先にある光が、これから行く末を示すようにアーロンを照らしている。

「アーロンっ!ありがとうっ!私、あなたの事嫌いじゃないわっ!」

シャルロットが笑顔でそう言えば、アーロンは悪戯っぽく口元に笑みを作り、何を思ったのか懐から一枚の手拭を取り出した。

それは紛れも無く、あの森の中でシャルロットがアーロンに差し出したもの―――

それにアーロンは唇を落とし、短く言った。

「シャルロット様―――確かにこれは私に必要なモノだ。泣き寝入りの際に使わせていただこう」
「おい!それをこっちに返せ!!」
「何を。これは私とシャルロット様の絆だぞ。欲しかったら奪ってみろ。男だろ」
「ああ!!望むとこ―――」

オリオンの有無を許さないとばかりに扉が閉まり、その場に静寂が訪れた。
少なからず、オリオンは不機嫌そうに柳眉に眉を寄せている。

「・・・あいつめ・・・許せないぞ」
「オリオン?」
「シャル。僕のシャル。シャルはアーロンが好きなのか?」
「ええ」

素直にシャルロットが頷けば、更にオリオンの表情は剣幕になった。

「・・・シャルは僕のものだ。僕以外嫌いになって欲しいぐらい嫉妬する・・・」
「―――でも、愛しているのはオリオンだけよ?」

その言葉に、瞬時にしてオリオンの表情が明るくなった。
まるで子供のようなオリオンにシャルロットは目を丸くしつつも、穏やかに微笑んだ。

「―――シャル・・・」

改まったようなその声に、オリオンを覗き込むように見上げる。
甘くシャルロットの指先が幸せを確かめるようにオリオンの頬に触れた。
撫でるような心地に、オリオンも甘えるように首を傾け、触れてくれる彼女の手の甲を覆う。
不意に、シャルロットは夢心地にため息を零した。

「私は幸せだわ、オリオン。まるで夢見たい」
「きっと、もっと幸せにしてあげるよ。むしろ―――夢よりも甘く、ね」

奪うようにその唇に触れ、二人は祝福の時を送った。
再び見つめ合った時―――互いに悪戯っぽく互いに目元を綻ばせてクスクスと笑い合う。
ふいに、シャルロットの手がオリオンの包帯に触れた。

「目は・・・もう見えなくなってしまったの・・・?」
「―――見えない訳じゃない。けれど、世界はまるっきりぼやけて形が見えないんだ。・・・それでも、支障なんて無いよ。もう片方残っているんだし、片目<アーロン>もいる。それで十分だ」

オリオンは、幸せそうに綺麗な顔を綻ばせ、言った。

「僕は・・・魔女に謝ろうと思うんだ。傷つけた事を・・・。そして大事な事を教えてくれた事にお礼を言おうと思う」
「そうするべきだわ。話せば分りあえるんですもの」
「そうだね。その通りだ―――。・・・けれどまたドラゴンにされたらどうしようか?それでもシャルは僕を愛してくれる?」
「私はあなたの姿形で好きになったわけじゃないわ。逆に私がドラゴンになっても―――あなたは愛してくれる?」

オリオンは愉快そうに笑った。

「―――シャルがドラゴンかぁ。きっと美しいんだろうね。大丈夫だよ。僕は愛し尽くす自信があるからね」

二人は愛を確かめるように再び口付けを交わす。
オリオンは囁くように再度言った。


―――愛している・・・


その言葉の響きは、目に見えない美しさを秘めていた。



**********




『赤いドラゴンと王女の話』―――
これは確かに悲恋として伝えられたが、物語の裏側にそんな秘密があったとは誰も知らない―――
後に二人は婚礼を上げて、オリオンはその才能が認められてレドリスト王国の新国王として即位した。
子宝にも恵まれ、赤いドラゴンと悲恋を果たした王女が王子と結婚して幸せに暮らしたとは、物語には記される事はなかった。

この物語の研究者曰く―――『それでは、悲恋じゃない』




その事実を知り、あなたは何を思う?

きっと二人がどんな姿になろうと―――その愛の形は変わらないだろう

目に見える姿でなく、その心に惹かれた二人の愛は神秘のように美しい



この広い世界の中で、愛するモノに出会える奇跡―――



美しいモノは目に見えない―――

それを肯定するように、形を変える『愛』は美しく写るものだ。


だってほら―――・・・


誰かを愛してごらん―――?

誰かに愛されてごらん―――?



君は少なくとも『幸せ』になれるはずだ。

その気持ちこそ・・・







『世界で一番美しいモノ』なんだよ―――・・・







推敲更新日

2008年10月05日

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