世界で一番・・・<第11話>






ねぇ、レッド。

私の話を聞いて。
私の目を見て。

あなたが笑ってくれる。
あなたの心を変えられる事が嬉しいの。


レッド―――


あなたは純粋なの


純粋だから、容易く汚れる事が出来る。


それはまるで―――透き通った水に泥を混ぜたように・・・


あなたは汚れてなんて無いの。
泥を取り除けば―――あなたはこんなにも真っ直ぐで綺麗なのよ

その赤い目は夕焼けの輝きのように美しいわ
その眼差しは―――まるで日差しのように暖かく、穏やかなの。
固い鱗の下に触れれば、命の音が強く熱く私に教えてくれる。



生きている。
懸命に、生きている。



私はただの飾り人形―――

息を吸って吐いているだけ。
綺麗に座り、綺麗に笑い、綺麗に話す人形なの。
だからいつだって私は綺麗な事しかいえないの。


私の心に―――望みはない


だから私は綺麗なの。
欲が無いから―――綺麗に見えるだけ
だけど、感じ始めたあなたの優しさが欲しいわ

もっと名前を呼んで欲しい。
もっと笑顔を浮べていて欲しい。


もっと―――



――― 一緒にいたい



望みが欲望へと変わっていく。
欲望がただの欲へと変わっていく。
私は―――欲を抱き、穢れてしまうのかしら


それでも―――・・・


レッド?

私の話をもっと聞いて。
レッド?

私をもっと見て!!

彼は私の心を見てくれる。
彼は私の心を聞いてくれる。


ねぇレッド―――?


私を―――『  』





**********





―――シャルに、見せたいものがあるんだ

レッドはそう言って、シャルロットに目を瞑らせた。
視界を閉ざされ、彼女の唯一の頼りといえばそれを言った張本人であるレッドで、不安に手を泳がせれば、安心を与えるようにレッドは気配を寄せてくれる。

「開けては駄目なの?」
「開けては駄目だ」
「何故?」
「さぁ、何故だろうな」
「いつ開けてもいいの?」
「いいと、言うまでだ。・・・少し我慢してくれれば、それでいい」

ぎこちなく、勧誘されながらシャルロットはその大きな背に乗れば、レッドは空に飛び上がった。
その向かい風が少し痛かったのか、シャルロットはよりいっそ目を瞑る。

「―――ねぇ、レッド?本当にどこへ行くの・・・?」

空気を切り裂くような、しかし風に乗って翼が羽ばたく音だけが聞こえる中、やはり「内緒だ」との楽しそうな声が聞こえた。
何故こういう事になったのかと、とりあえずシャルロットは首を傾げる。

『薔薇を知っているかしら?それはそれは美しい花なのよ?お父様が私にお祝いとして庭園を下さって、去年初めてその花が咲いたのよ?」

先ほどまで、シャルロットはバラについてたくさん話した。
己の祝われる最後の誕生日。その時に送られた赤薔薇の美しさや、それを守る棘がまるで騎士とお姫様のようだと、シャルロットは話を弾ませる。

同時に愛がなければ直ぐに散ってしまう儚さ。

何よりも己が一番好きな花なのだと。

ただそれをじっと聞いていたレッドが最初に口にした言葉が―――


『薔薇は、棘が生えていて、赤いんだよな?』


突然とバラの特徴を聞き出し、シャルロットがそれを事細かに詳しく教えた途端、突然とこういう事態になったのだ。

「ねぇレッド?」
「大丈夫だ。しっかり捕まっておけば、大丈夫だから・・・」

いつに増して、ものすごく穏やかな声が諭すように言うから、シャルロットは目を開けたい衝動を堪えて、ただその鱗にしがみ付く。

レッドの体は、温かい。

体温が人よりも高いせいなのか、それともまだ乾ききっていないドレスに冷やされた体には好都合だっただけの話なのか―――

体が浮く感じがして、急降下したのを知る。
暖かな風が耳にその息吹を伝える中、子供のようにはしゃぐレッドの声が言った。


「―――シャルが見たら、きっとびっくりするだろうな」






**********





レッドは『赤が好きだ』と言われた瞬間―――少なくとも自分が嫌いではなくなった。

例え世界が自分を嫌おうと、彼女さえ『好き』と言ってくれれば、それでいいと―――

そう考えた途端、レッドの世界はがらりと変わった。

嫌いなものが―――嫌いではなくなったのだ。

まるで呪縛から解き放たれたように、黒が白に浄化されたように―――世界がこれほど美しかったのかと思え、そう悟ると同時に、シャロットの幸せについて懸命に考えていた。

その結論が―――

レッドは辺りを満足そうに見渡してから、背中に乗ったままのシャルロットに長い首を回す。

「―――シャル?目を開けて。ゆっくりね・・・。きっと腰を抜かしてしまうほど驚くぞ」

自分でも驚くほどの、優しい声音に反応して、シャルロットは眩しそうに目を開ける。
息を呑む、予想通りにして嬉しくなるような沈黙―――

大きな瞳孔が驚きを表現するように小さくなり、その口元を覆って感激したように笑顔が咲き誇った。



「―――すごいわ・・・」



目の前に広がる光景―――それこそ一面に咲いたバラの花。
野生化しているため、点々バラバラに赤いつぼみや花が棘の付いた茎から覗いている。
崖の淵一帯に咲き誇る僅かな面積でも、ここまで立派なものはそうそうお目にかかれないが、決して大きいとは言えない。
崖から先は青々とした空と海が広がり、それもまたシャルロットを喜ばせる大きな要因となった。
柔らかな野原にシャルロットは降り立つと、魅せられたようにゆっくりと崖に向かって歩き出し、レッドもそれに続く。

「赤い・・・バラの花。こんなにたくさん咲いているのは初めて見たわ」

惚けるようにシャルロットは呟き、棘すら気にした様子も無く屈んでそのバラの香りに目を瞑る。
その後ろ姿を眺めながら、レッドは喜んでもらえた事を誰よりも嬉しいと思った。


恐らく、これがレッドに出来る精一杯の優しさだ。

何よりも傷つけた謝罪の気持ちであり、救ってくれた感謝の気持ちであり、そして―――・・・



「ねぇレッドっ?虹が出ているわっ!」



昨晩雨が降り、今は快晴の空。
広がる青空よりも遥かに青い海には、見るのも稀な虹が幻想のように空の色を変えていた。
それを眺めながら、ふいにレッドは吐息と共に呟く。





「―――綺麗だ」





驚いたような声と共に、同じくして目を丸くしたシャルロットがレッドの方を振り返る。

「レッド?」
「綺麗だ。七色の虹は綺麗だな。青々とした空も綺麗だ。野に咲くバラも綺麗だ。それに―――」

レッドは後に続く言葉を胸で囁く。



―――シャル、お前も綺麗だよ



やはり、恥ずかしくて口に出して言える事ではなかった。
何も言わなくなってしまったレッドは、羞恥に目を泳がせて俯いてしまう。
それでもシャルロットはそんなレッドの心情でも察したように、楽しそうに笑った。


「―――ええ。世界は美しいの。綺麗なモノで溢れているのよ!!」


シャルロットが見せてくれる無邪気な笑みを見て、レッドは心の底から込み上げる暖かな気持ちに、自然と目が綻んだ。

「そうだな・・・」

かつて悪竜と忌み嫌われ、事実その名に相応しい悪辣非道のドラゴン。
そのドラゴンの、世界を呪うかのように冷え切った眼差しの面影など今や見当たらない。

ただその時の幸せをかみ締めるように微笑んでから、レッドは、重いと感じるその口を開く。

「―――シャル?」
「何?レッド」

シャルロットは陽気な笑顔を見せて、その笑顔を、もう十分だと思うまで見つめた後、レッドは静かに言葉を口にした。

「シャル・・・。俺は世界が嫌いだった。だけど、それ以上に自分が嫌いだった。赤を身に纏った自分が―――大嫌いだったんだ。そんな自分にした世界を恨んで、シャルの様に綺麗なモノを妬んできた。まるで子供みたいに駄々を捏ねてたくさん迷惑を掛けたね。傷つけて泣かせて―――シャル。それでも君に出会って変わる事が出来たと思う」
「どうしたの?レッド・・・」

少し驚いたような様子を見せるシャルロットに、レッドは穏やかな眼差しを向け続ける。

「シャルが『赤が好き』と言ってくれて、俺は嬉しかった。嫌われてばかりだった俺を救ってくれたのはシャルだ。シャルの言葉で、世界ががらりと変わった。世界は・・・美しいのかもしれない。ただ―――この心が汚れていただけだ。恨みも怒りも嫉妬も―――全部取り除いてみれば、世界はこんなにも美しいと思えたから、やっぱりシャルのお陰なんだ。この姿で生きてみようと思えたのは、シャルロットのお陰だ」

レッドは力強い笑みへと変えてから、シャルロットに告げた。



「―――シャル。ありがとう。俺はもう大丈夫。だから―――シャルは本来いるべき場所へ戻って、幸せになって欲しい」



その言葉を心外と思ったのか、シャルロットの微笑が消えて、変わりに生まれたのは驚きの表情だ。
信じられない思いからなのか、その場を立ち上がってレッドを凝視するように見上げ続ける。

「レッド・・・?」
「シャルは王子様と結婚して、それで幸せになるべきなんだ。こんなところで俺みたいな奴といるんじゃなくて―――シャルは・・・帰るべきなんだよ」
「けれど・・・あなたは『世界で一番美しいモノ』を探して、それを手に入れたいのでは無いの・・・?」

少し震えたシャルロットの言葉に、レッドはただ黙って微笑む。


『世界で一番美しいモノ』―――


それはレッドにとってシャルロットの事を表しているのだろう。
しかしそれを手に入れることは出来ない。
もうこれ以上―――シャルロットを振り回す事は出来ないのだ。

だってシャルロットは約束された幸せに囲まれて、王子様の物となるのだから―――

ドラゴンの傍で一生を過ごす事なんて、それをさせたくなかった。
芽生えた恋心は大きな愛へと変わり、それは優しさとなってレッドを変えていく。

他人事なんかじゃない・・・

シャルロットが幸せになってくれる事が―――レッドの幸せだ。
本音を言えば、自分が守ってあげたかった。

けれど、それは儚い夢の幻想―――

夢は覚めるべきだ。

現実を受け止める決意をしたレッドはシャルロットの顔を真っ直ぐ見つめる。

「俺が勝手に連れてきて、勝手に期限延ばしておいて勝手だって分っている。だけど、シャル?俺じゃシャルを幸せには出来ないから。だからシャルには帰って欲しい。シャルの幸せが俺の幸せだ。シャルが幸せにならなかったら、俺も幸せになれない。シャルがいるこの世界が―――俺は好きだ。シャルが好きなこの世界が、俺は好きなんだ。だからシャル。君は君のままで、幸せになってくれ」

ふいにシャルロットの表情は泣くのを堪えるかのように強張った。今までに無いほど曇り、しかし俯いてそれを押し隠している。
レッドも心が折れそうなのを耐えながら、わざと明るく声を弾ませて見せた。

「俺がちゃんと城まで送―――」
「―――嫌よ」

続けようとした言葉が、硬いシャルロットの言葉によって遮られた。
俯き加減のシャルロットの手が握りこぶしを作り、僅かに震えている事を知る。

「シャル?」
「嫌よっ!私帰らないっ!」

突然と悲鳴にも似た声を上げたシャルロットに、レッドの方が驚きの表情に変わってしまう。
見上げたシャルロットの表情が、今にも泣きそうなほど歪んでいた。

「―――レッドっ?私が嫌いになっちゃったの?だから帰れって言うの?」
「違う・・・っ!」
「ならなんで―――?なんで帰れなんて言ってしまうの?」


―――それは


それはレッドにとってもっとも言いたくなかった言葉だ。
それでも、レッドはシャルロットを返さなくてはならない。
これはレッド個人の問題としてとられた訳ではなく、シャルロットの幸せを想って言ったのだ。
例え『本来は人の身』であろうとも、ドラゴンの自分では、シャルロットを幸せになど出来ない。


だから―――


「シャル―――俺は君が好きだ。だから、シャルが幸せになるためにも・・・帰ってほしい」

『好き』という言葉だけに留めて、レッドがそういえば、シャルロットは嫌々と首を左右に振る。

「分らないわっ!レッド!私の幸せが帰る事だなんて・・・なんでそんな事を思うのっ!?」

何故かシャルロットは慌てていた様子だった。
血相を変えたように、まるで顔色が悪い。
そういえば、シャルロットは結婚が嫌で城を飛び出したのだった。
しかしその本当の理由を知らない。
レッドは縋るように見上げてくるシャルロットをじっと眺め、それから尋ねた。

「シャル?何故結婚したくないだ?相手は王子様だ。玉の輿だし、みんないるんだ。綺麗なものに囲まれて、危険な目にも合わない。汚いモノも見ることは無いし、一生幸せになれるんだよ?それなのに―――何故?」

シャルロットは悲観にさらされ、まるで攻め立てられ、混乱しているかのように瞳孔を揺らすばかり。
もしかすれば、彼女がここまで乱れるのは初めての事かもしれない。

「愛が無い結婚が怖いからっ!お母様は―――国を繋ぐ捧げ物のお人形としてお父様と結婚したわ。けれど私を生んで、お母様はお父様の寵愛なんて受けなくなってしまったのっ!もうお人形として飽きてしまわれたから・・・必要ではなくなってしまったらか―――だからお母様は自害されたのっ!」

シャルロットは目に涙を溜めるように、青の目を歪ませた。

「―――私、お母様のように捨てられないよう、綺麗なままでい続けたわ。何も望まないようにして、わがままも言わずに、ただお父様に気に入られるようなお人形になろうってずっと思ってたわっ!例え王子様のところへ嫁いでも、ただ綺麗に微笑んで綺麗に座って、綺麗に話して、綺麗なままでい続けようと思っていたのっ!そうすれば捨てられないって!それが私が生きる意味だと思っていたからっ!」

ここまで叫ぶように話すと、少し落ち着いたのか、シャルロットは顔を両手で覆う。

「―――・・・そうだわ。そうだったのよ。何故今まで気づかなかったのかしら・・・?私、何も考えないようにして生きてきたから、こんな事に気づかなかったのよ。―――いいえ。気づかなかったんじゃないわ。気づかないようにしていただけなんだわ・・・っ!」

泣きそうな声に、レッドはその顔色を伺うように首を下げた。

「シャル・・・?」
「―――私・・・嬉しかったのよ。私の目を見て、話をきちんと聞いてくれて、嬉しかったの。私が初めて『誘拐して』って望んだ時、レッドは答えてくれた・・・っ!とっても嬉しかったのっ!私に望みなんて許されない事だと、ずっと思っていたから・・・っ!!」

シャルロットはそっと顔を覆っていた両手を外した。
その空ろな表情が悲しげに微笑み、俯いたままレッドと目を合わせようとしない。
まるで自分に話しかけているように、シャルロットは続ける。

「―――私と一緒にいて、それで変わってくれるレッドにもっと笑って欲しいって思ったわ・・・。私、まるで必要とされているみたいで、幸せだった・・・っ!王女としてじゃなくて、私自身を必要とされていたみたいだった・・・っ!私の言葉で、怒って、笑ってくれるレッドに、望んでいたわ。レッドが喜んでくれるように、もっと笑ってくれるように、もっと名前を呼んでくれるように―――。私、自惚れしていたんだわ・・・っ!レッドは私を望んでくれるって・・・っ!このまま一緒にいれば、きっとお人形のようにじっとしていなければならない生活なんてしなくて済むって・・・っ!私、綺麗じゃないわ。だって望んでしまったんですもの・・・っ!望みは欲になってしまうのっ!欲になってしまえば―――それを手に入れるために、どんな事をするか分らないわっ!」

本心を言うように、シャルロットはレッドを真っ直ぐと見上げて、訴えるように叫んだ。



「レッドっ!私結婚したくないっ!城に帰りたくないのっ!」



「―――シャル・・・」

レッドは、シャルロットの弱音に何を答えてあげればいいのか分らなくなった。

その望みを―――叶えてあげるべきなのだろうか?

しかしレッドには、自信がなかった。
自分の事は嫌いじゃなくなったが、それでも自信が無いのだ。
それは、本当になんとなく感じた事。
まるで記憶が戻ったように、レッドは悟っていた。

もう―――時間が無い事を・・・

だから、彼女を帰すべきなのだ。
レッドが人間になることはまずない。
一生この姿である事は間違いなく、それでも十分だ。
更にシャルロットが口を開こうとした時だった。
何かが近づいてくる足音に、一匹と一人の目線が同じ方向を見つめる。
崖とは反対側の森の茂みから、複数の足音が聞こえてきたのだ。
レッドはそれが『何者』であるかを悟り、目を細める。



「―――シャル。王子様が、来たよ・・・」



シャルロットの傷つくような顔がレッドを見上げるが、レッドはそれを見て見ぬ振りをした。
それがシャルロットのため。


いや―――


自分の、ためだ。
そう自覚してしまえば、ずきりと胸が痛むのを感じた。





**********






最初に現れたのは、騎士を思わせる白銀の鎧を身に纏った男だった。
その片目が塞がっているのを見て、シャルロットは驚きに声を上げる。

「アーロンっ!?」

目つきは剣呑さを帯び、最初の印象がまるで嘘のように高貴な人に見えた。
―――いや、そもそもアーロンの本来こそがこの姿なのだろう。
まるで自信に満ちたその威徳の眼差しが、レッドの後ろにいたシャルロットを見つけると、僅かに穏やかになる。

「シャルロット様・・・っ!」

安堵にも似た様子で叫び、しかしレッドの存在を思い出したのか、その視線も直ぐに殺気だったものに変化した。
後ろには複数の武装兵士の影があり、しかしどの顔もレッドに対する侮蔑と畏怖の念から、その口元がどことなく引き攣って見える。
それでもアーロンはすでに免疫を得たように一歩前に前進すると、後ろに控えていた男から両手一杯の大きな箱を受け取るとまた更に前へ出た。

「―――約束通り、『世界で一番美しいモノ』を持って来たっ!」

箱は金淵に覆われ、その箱全体は銀色に輝いている。
中に入っているものに期待が寄せられそうな雰囲気があったが、レッドはそれに目を輝かせる事はしない。
彼女以上の綺麗なモノは存在しないと、そういう想いがあるのか、レッドはただ無言のままだ。
アーロンは言った。


「―――シャルロット様を返していただこう。お前が『世界で一番美しいモノ』を手に入れるのはそれからだっ!」




**********





シャルロットはその叫びに我に返った。
レッドが『世界で一番美しいモノ』を手に入れるためには、自分が戻らなくてはいけない。
それが自分のわがままを聞いてくれたレッドに対する謝礼であるのだと悟り、シャルロットは小さく唇をかみ締める。

自分の欲さえ―――望みさえ捨ててしまえば・・・


―――レッドは『世界で一番美しいモノ』を手に入れられるかもしれない


シャルロットは、無言のまま前へ進んだ。

「―――シャル」

小さく、懐かしさにも似たレッドの声を聞き、弾けるように後ろを振り返る。
レッドが、寂しさを湛えるように目を細めていた。
まるで心配しているようなレッドに、シャルロットは城で浮べていた笑みを零す。

綺麗と呼ばれる、その笑顔を―――

「レッド?私、幸せになるわ。王子様と結婚して―――それで幸せになるの。だからレッド?あなたも・・・幸せになってね?私が幸せなら、レッドも幸せなんでしょう?」

息を呑むレッドはしばし無言を通していたが、やがては微笑を浮べるように目元を和ませる。
しかしその赤の両目には、僅かな哀しみの色を湛え、それでもレッドは肯定するように頷いた。


「―――シャル。もう・・・二度と来たら、駄目だからね・・・」


それは二人の絆を断ち切るように―――レッドは言った。
さよならも言う事無く、シャルロットは真っ直ぐと歩き出す。




**********





「シャルロット様をお連れして、先に下山していてくれ。私もすぐに、行く」

アーロンの小さな声に肯定する兵士達は、髪も短くされ、ドレスは見るも無残な姿となった、悲劇の王女―――シャルロットを迎え入れた。
シャルロットは少し悲しそうに微笑み、囲むように見下ろすシャルロットに頭を下げる。

「―――私のために、ありがとうございます・・・」

元気の無いその声は僅かに震え、よほど怖かったのだろうと、兵士達は同情するようにシャルロットを見つめる。

「王女様っ!お労しいお姿に・・・」
「さ―――、後はアーロン殿にお任せして、共に帰りましょう。アゼフ将軍があなたのお帰りを本門でお待ちですよ」
「我らのプリンセス。我々が来たからにはもう安心ですからね」

しかしその声すらも聞いていないように、シャルロットはとぼとぼと歩き出す。
その後を、寄り添うようにして全員が護衛として一緒につき、背中を見せた。
よほどショックだったのだろうと、一人の兵士は目の前にいる赤―――レッドを睨みつけ、アーロンに小さく囁く。

「―――アーロン様」
「ああ。作戦通りに行くぞ。シャルロット様は、もうお姿が見えないか?」

アーロンはただその場にお座りをしているレッドを睨んだまま、問いかける。
一人の兵士が、シャルロットの姿を確認できなくなるまで見つめた後、アーロンに言った。


「―――王女様のお眼を汚す恐れはございません」
「そうか。ならお前も行け―――」
「しかし・・・」
「行け」

短くそう命令され、兵士は無言で敬礼すると踵を返して走り出した。
本当は怖くてたまらないはずであろう、だが王女奪還に己の命を掛けている平和呆けした兵士をここで使うわけにはいかない。
同時にそれは、アーロンの『合図』まで待てとの事であり、複数の兵士はそれまで他の場所で待機している事だろう。

全てはその後の『計画』のために―――・・・

「さて―――」


一人になったアーロンは一人佇む赤い化け物を睨む。
あの穢れを知らない王女に、これから始まる光景を見せるわけにはいかない。
アーロンはレッドに向かって歩き出し、ついにアーロンとレッドは接触した。





**********





「赤きドラゴン。約束のものを受け取れ」

アーロンは恐れを知らぬように、レッドとは目と鼻の先にまで近づくと、重そうなその箱を草に覆われた大地に置いた。
一歩二歩と後ろに下がり、今だ無言のままのレッドを見上げて尚も嫌そうな顔を見せる。

「―――さぁ、開けてその目で確かめるがいい」

憎悪に声は低く、表情も同じように歪んでいるが、それすら気づいていないようにレッドは不安そうな声でアーロンに尋ねた。

「・・・シャルは、王子様とやらと結婚出来るのか?」
「―――いや。隣国の大臣から伝言が来た。『ドラゴンなどに誘拐され、汚された王女などいらぬ』とな。お前のせいでシャルロット様の婚礼は破棄されたのだ」

「なんだって・・・っ!」

自分のせいで―――シャルロットの明るい道が閉ざされたと、レッドの頭は真っ白だ。
だが、何故かアーロンは嬉しそうに微笑んでいて、それが分らないといった様子のレッドに構わず、アーロンは腕を組む。

「―――しかしその点においては感謝してもいい。憎き第二王子などの元へと継ぐぐらいなら、私が幸せにした方がいいからな・・・」

今度は別の意味で一瞬呼吸を忘れ、レッドは獣目を見開く。
その意味など既に理解しているはずなのに、認めたくないような想いからレッドは声を震わせる。

「どういう事だ・・・っ!」


アーロンは勝ち誇ったように微笑を浮かべ、その事実をそのまま口にした。




「―――シャルロット様は、私の妻となる」




予想通り抉られたような衝撃に、レッドは瞳孔を揺らし、アーロンをじっと凝視する。
―――が、すぐにその目は瞼に半分を隠され、諦めたような声が小さく呟いた。


「―――そうか・・・」


それが気に喰わなかったのは、アーロンだ。
僅かに期待を裏切られたような不機嫌な顔つきになり、レッドを挑発するように口を開く。

「お前はシャルロット様に恋心を抱いていたようだな。しかし残念ながらドラゴンと人は結ばれない。私が幸せにする。第二王子―――オリオンなどにも渡さない・・・っ!」

レッドは、怪訝に眉を寄せた。
その言葉からはシャルロットへの愛が伝わってこない。
シャルロットを幸せにするには、シャルロットを愛してくれなければ駄目だ。
シャルロットの将来が明るくなるような希望を持った男で無ければ、認めたくない。

「お前は復讐のためにシャルを好きになったのか・・・?シャルを本心から好きなのではないか?お前は『まだ』―――」
「私はシャルロット様を心からお慕いしている。国王に言われただけで女性と結婚すると思ったか?―――貴様は言った。シャルロット様は『人質』だと。そしてそれと引き換えにその箱を手に入れた。何も不満はあるまい」

アーロンはそれだけ言うと踵を返してしまう。
赤いマントを翻し、しかしその姿を見た瞬間―――レッドは激しい痛みを額から感じ、歯を食い縛る。
ぴきぴきと、宝石が崩れていくのを知って、レッドは呼吸を深く繰り返した。
ひびが増えて、それが深くなる度―――レッドの脳裏に何かが溢れ返る。
壊れた時計の時間が戻るかのように、忘れていた何かが記憶に刻まれていく。


どうして、何故―――


ふいに、その疑問と最初の始まりが蘇った時、レッドは悟ったものだ。


時間が―――無い・・・


何故かそんな言葉が胸に刻まれ、しかし不思議と恐怖は無かった。
シャルは、今どこにいるのだろう?

「ああ。そうだ、そうだった。お前はそういう男だったな。―――ならきっと、シャルを幸せにしてくれよ・・・」
「はっ。貴様に言われる筋合いなど無いわ」
「知っているよ。君は女性に優しいからね・・・。ああ、知っているよ・・・」

レッドはうわ言を繰り返す。
知っている。
知っている・・・と。
アーロンは、きっとシャルロットを幸せにしてくれるのだ。
そうに違いない。
それは予想ではなく、『知っているからこそ』確信していた。
彼は女性に優しい。とても、とても。
彼は騎士道精神を骨の髄にまで叩き込まれた騎士だと。名門貴族の嫡男氏である事をずっとずっと前から知っていた。
共に学び、共に励み、共に笑いあった事を知っている。
無二の存在で、これからも『この関係』が続くと、嘗ては信じていた。

しかし―――・・・

「もうあの頃には戻れないのだろうね・・・アーロン」

その言葉はあまりにも小さく。

「―――君は嘗て僕に教えてくれた。『好きになってほしいのならば――――優しくすればいい』と。そうすれば、必ず何かが変わるのだと。―――その言葉は本当だった。ただ、君にはそれを感謝しておきたい・・・」

次の言葉にアーロンの様子は急変する事になる。





「マイ・エデル<僕だけの忠実な騎士>」





「っ!?」

一瞬、アーロンの口が開く。
何かを言おうとしているのだが、それは上手く言葉に出来ない様子で。
ただ、『失ったはず』のものがそこにある事実に混乱するばかり。
しかしあまりにも似すぎているその接点に、最初こそありえないと笑い飛ばそうとしていたアーロンの、何かがそれを認めた時だ。


「そうか―――そういう事なのか・・・?」


ふいに、アーロンは酷に笑った。
まるで復讐を成し遂げた者の、冷笑のように。


「『お前』なのか・・・ふはははっ!!『お前』か・・・道理で醜いと思った訳だ!!お前にはお似合いの姿だ・・・。精々その姿で疎まれながら生き続けるんだな。―――美しいモノを見て、それを羨みながら・・・」


アーロンは既にその顔を見るのも嫌だと言う様に踵を返した時だ。

「アーロン」

レッドに名前を呼ばれた事に、あからさまに嫌な顔をして、アーロンは僅かに顔を向けて立ち止まった。
それを確認してから、レッドは箱を両手で持ち、それをアーロンに突きつけるように前に出す。

「―――いらない。持ち帰って、これを一番だという者に返してほしい」
「・・・どういう事だ?」

警戒心を強めたアーロンに構わず、レッドはきっぱりとそれを断った。

「もう見つけてしまったから。だからコレはいらないし、受け取れない。手に入れることは出来ないけれど、それでも見れただけで十分だよ。コレは『僕』にとっては一番じゃない。だからコレを返してくれて構わない。もちろんシャルを戻せと言っている訳じゃないよ」
「―――貴様、それが償いのつもりか・・・?」
「いや。ただ、そうするべきだと思っただけさ。彼女を連れてきたことは悪いとは思うけど、後悔はして無いよ・・・」
「悪びれた様子を見せないとは―――まさにお前は悪竜だ」

アーロンは不吉に笑みを深くし、レッドとようやく面と向かい合った。



「―――仕方が無い」


息をつき、僅かに穏やかさを湛えながらもレッドの元へと近づき、アーロンはレッドの手に乗る突きつけられた箱に触れる。
レッドはその様子を見下ろしつつ、それを受け取ってくれるのを待った。
しかし、レッドの予想とは裏腹に、アーロンの動きがおかしい事に気が付く。



「―――なら、私が自ら与えてやろう」



アーロンの低い声が、無関心に呟いた。



「同じ痛みをな」





レッドが怪訝に思うよりも早く、レッドの方向に向かって瞬時に宝箱の蓋が開かれる。
その瞬間―――飛び出した二つの影にレッドの視界は遮られ、そして―――




断末魔の、獣の咆哮にも似た痛々しい悲鳴に、森の静寂は切り裂かれた。






推敲更新日

2008年10月05日

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