神風のアステ<第3話>






怒号と悲鳴に混じった叫びが四方八方から聞こえた。
作物の育たない乾いた大地に、天候の悪い空から光は差し込まず、荒れ狂う砂煙だけがその戦いの激しさを教えてくれる。

地平線すら見えそうなその場所で戦うのは、二つの種族と二つの国―――

白の武装を身にまとう『ゴーシュ人』は反乱を起こし、黒の武装をした『ドロワット人』はその反乱を止めるべく、近くの首領が指揮官となって侵略を食い止めていた。
互いを打ち消しあうように剣と剣をぶつけ、弓矢を放っては石が飛んでくる。
勝機は、防壁として人工的に作られた崖を占領している黒軍・ドロワット人に傾いており、崖下をのし上がる白軍・ゴーシュ人は苦戦を強いられていた。
いくらゴーシュ兵が急なその崖を巧みに登っても、上から障害物を落としてくる敵の前にあっけなく転がり落ちていってしまう。
接触する事さえ出来ない状況に、まさに今、ゴーシュ人は敗北の淵に立たされていた、そんな時だ。


―――今こそゴーシュの誇りを取り戻せぇえええ


そう叫んだのは、凛とした少女の声音。
男の怒号にも負けぬ気迫と、偉人の説得力に匹敵するその一言に、疲れきったゴーシュ人を元気付けた。

白の武装を身に纏い、鷹の旗を掲げるその少女は『神風』と呼ばれ、一心不乱に馬を駆り立ててドロワット人を蹴落としていく―――

しかし、崖の上で高みの見物であるドロワット人からして見れば、これから『神風』の乙女がどのように抗ってくれるのかと、まるでゲーム感覚で楽しんでいた。

等の『神風』すら、ここをどのように攻略すべきかと頭を悩ませている時だ。

そんなか細い少女に祝福の女神が微笑みかけたのか、突然の雷雨によってその戦地は直ぐに土砂となった。
まるで全ての血を洗い流すような、滝のような勢いに慌てたのが勝機に傾いているはずの、崖の上に陣地を踏まえたドロワット人達である。
元々地層が柔らかい造りだったその崖―――人工的に作られたドロワットの陣地は泥のように跡形も無く崩れ落ち、ドロワット人達は成す術も無く土に生き埋めにされた。
この形勢逆転に人相を変えたドロワットの軍師は、残った戦力で形勢を立て直そうと試みるものの、呆気なくゴーシュの軍勢に飲み込まれたのだ。
まさにドロワット人達からして見れば、自然という名の脅威は予想外で、悲劇の出来事として目を覆いたい心境だっただろう。
命をどうにか取りとめたドロワットの軍師もこれが負け戦となるのを知り、尻尾を巻いて逃げ出したところを、背後から馬で追った『神風』が見事な槍裁きでそれを打ち落としたのだ。


―――『神風』様が敵軍の大将を討ち取ったぞぉおおお


その報に、ゴーシュ人達は確信した勝利に雄叫びをあげ、ドロワット人達は失意に武器を捨てた。
その日、ゴーシュの『神風』は奇跡を起こし、ドロワット領の一部を制覇したのである。





**********





「―――さすがは我等の希代なる『神風』様です。見事な槍捌きでした」

歓喜に満ちたその空間は熱気が更に増していた。
所々から覗く兵士達の頭の列が平面を作る中で唯一の凹み―――ただ1人だけ浮いたような小さな武装者こそが『神風』と呼ばれている少女だ。
戦場となった場所から少し離れた森付近で、端の方に佇んでいるのは、少しでも雨を凌げる様にと配慮しての事。
今だ小雨が降る止む事は無く、木の陰で雨宿りしているのだった。
寒空の下―――雨である影響もあって吐息は白く、身を強張らせる寒さは、戦闘後という事もあって今は心地よい。
『神風』の少女は傍で同じく馬に跨る、若い男に向って逞しく笑いかけた。

「私は何もしていない。神のご加護が我々を救ってくださったのだ。それに―――」

『神風』の少女は相棒でも見るような、そんな親しげな様子で、にかりと男のように微笑んでみせる。

「―――敵の大将を足止めしたのはお前だろ?『ウォルター』」
「しかし、首を取ったのはあなただ」

図体のでかい男とは違う、どこまでも穏やかな様子を見せるその男―――ウォルターは『神風』の少女を賞賛する。
ウォルターの緑石を宿した二つの目は今にも微笑みそうなほど穏やかなもので、 とても戦いに身を投じる者とは思えなかったが、一度でも、戦うその後姿と確固たる信念を秘めた眼力を見てしまうと、そうも頷けない。
ゴーシュ人は金髪隻眼の者が多く、しかしウォルターの髪は珍しい茶色だったために、当初は随分その髪の色の珍しさに警戒もしたものである。
服装はゴーシュの武装色の白銀で統一された軽鎧に、寒さを凌ぐというよりも血の色を目立たせないようにと黒の外套を羽織っていた。
そして最も目につくのは、外套をしっかり掴んで離さない銀の止め具。
一度見ればそれが高価な品である事は容易に知れそうなほど、複雑な刺繍のような紋章が刻まれている。
これは、ゴーシュ人しか身につけない特殊な『印』で、最初こそ革命に参加していなかったウォルターを、短期間で信用した一つの要因だった。
仲間意識の強いゴーシュ人は同胞を―――同族に対しては肉親同様の信頼をおくのだ。

「まったく。お前は何故そうも身を引いてしまう?少しは胸を張っていてもいいと思うんだが・・・」

女性にしては、堅苦しいような雄雄しいような口調は彼女なりの努力だ。
女と舐められまいと、ただそんな意識の影響でその性格すらも大の男並、もしくはそれ以上である。
顔面を保護する兜を脱ぎ、額に浮かんだ汗がまるでダイヤを散りばめた様な輝きを放って消えていった。
金髪のうねる髪は汗を含んで萎れているものの、それは朝露を含んだ花でも見ているような気分だ。
芯がしっかりとした力強い印象を与える、透き通った意標高い青の両目―――勝利の女神を宿したような力強い微笑みに、盗み見するように視線を投げていた男達は自ずと顔を赤く染めた。
今は戦闘終了後にして、勝者にはお馴染みの戦利品争奪戦に熱気が入り、土砂を掻き分けては金の財を発掘している。

はたまた視線を過ぎらせれば―――


「ぎゃあぁあああああっ!」


断末魔の叫びが、『また』聞こえた。
しかしそれに対し、誰も血相を変える事も、ましてや表情の一つ変えない。
今回の戦で敗者となったドロワット人―――彼らに対しては恨み辛みの多いゴーシュ人が、感情任せの虐殺を行ったのだろう。
だが、『神風』の乙女が決してそれに口を挟むことはしない。

―――ゴーシュ人は奴隷そのもの

その言葉が一般常識となってしまったこの国では、ゴーシュ人ではなく、外部者であるドロワット人が支配している。

元々反りの合わなかった二つの人種は、国境問題を引き金に長期に武力で争い続け―――

ゴーシュ人はドロワット人に敗戦し、今やゴーシュ人は嘗ての自由を奪われ、支配される側に移ってしまった。
賃金が出ない事はもちろん、病気になろうとも倒れるまで機械のように働かせられ、これが戦争で負けた人種の運命とは言えど、限界はまさに一線を越えそうなほど高まっていた。
この軍隊はいわば巨大化した反乱軍―――ドロワット人に対するプロテスタントだった。
ドロワット人に支配されたこの国に対し、ゴーシュ人達は今まで屈辱的な扱いを受けてきたのだから、当然の報いだとみんなそれで納得しているのである。
ふいに、少女は隣にいるウォルターに視線を投げかけた。

「お前は戦利品に何を望む?」
「俺はいりませんよ。あるだけ荷物になるだけですから。・・・腹を満たす食事と、勝利を祝う酒があればそれで十分ですよ」
「―――やれ、お前はつくづく欲の少ない男だな・・・」
「戦利品を頂戴しない『神風』様には、それを言わせたくないんですが・・・」

ウォルターは語尾を濁らせ、女性達の視線をいくらかは集めそうな、そんな色男の顔は再び好印象を与える苦笑いへと転じた。
先ほどのまで命を懸けて戦っていたとは思えないほど穏やかな様子に、少女も苦笑するしかない。

「お前は実に良い男だ。腕は立つし、寛容を持っている」
「何をおっしゃいます。どんな戦士よりも勇敢に戦い、男達を貫禄負けさせるあなたがそれを言えば、俺には皮肉に聞こえますが・・・?」
「―――最高の褒め言葉だ」

女として評価せず、一人の戦士として評価したウォルターに、少女は知らぬうちに口を笑みの形にしていた。
しかしウォルターは顎に指を添えて、少し考えるような素振りを見せる。

「・・・そうですね。もしもあなたが『神風』だと知らなかったなら、直ぐにでも口説いてたでしょう」

やはり女としての評価をするのも忘れないのがこの男だ。
少女は白い目でウォルターを横目で見つつ、非難するように声を低くして、少女は言った。

「何を言う。どうせお前は女性と出会えば片っ端から口説くような男だろう?」
「それは心外です。花の種類だけ美しさがあるように、女性も例外では無い。・・・それに口説いているのではなく、褒めているだけです」

目を丸くしながらも微笑む相手に、少女は怪訝そうに目を細めた。

「―――ほぅ。それは苦しい言い訳だな」
「戦女神の化身と唄われるゴーシュの『神風』殿に恐れ多くも妬いていただき、誠光栄に思います」
「わ、私をからかうなっ!」

ウォルターは陽気に笑うが、少女は憤怒したようにそっぽを向いた。
このウォルターは、少女と出会った時からそうだ。
正直、何を考えているのか分らない。
本当に昼寝が好きだと言い出しそうなほど、彼に戦争事は似合わないような印象だった。
しかし、彼は少女を良く守っている。
部下として、友として、同盟者として―――彼女を支えていた。
まさに『神風』としての自覚が抜け落ちてしまう、少女にとっては特殊にして特別な男でもある。
血だらけの格好でありながら、しかし黒の外套を身に纏った状態ではそんなのもあまり気にならない。
下に身に纏った鎧すら荷ではないような働きぶりに少女は今回も例外ではなく、ウォルターに礼を尽くした。


「今回も、良く働いてくれた。感謝する」


男は一瞬、何を言われたのか分らなかったように目を丸くしていたが、直ぐにそれも微笑によって消される。

「―――いえ。当然の事です。『神風』様のお役に立てるのならば。ましてや、あなたのお命をお守りする事が出来る喜びが、俺を動かすんですよ」

そんなくすぐったい言葉に最初こそ怯んで、「からかうな」と怒鳴りつけていたが、今ではそれを素直に喜んだ。

「感謝する」

心の底からの、本当にこの男が傍にいるだけで少女は力が湧いた。
まだ少女には自覚できない気持ちが、徐々に開花しつつあるものの、きっと『神風』としての責任がある以上、そんな感情に構っている暇はない。

「それで・・・『神風』様。少し、2人でお話したい事がございます」
「なんだ?変な気を起こしたとでも言えばすぐさま殴るからな?」

珍しく少女がからかってみれば、ウォルターは真剣に捕えたように唸りつつ、言葉を捜すように苦笑した。

「―――それは・・・困りますね」
「なんだ?まさか本当に変な事を考えていたのか?」

少女の右手に握り拳が出来ると、今度こそウォルターも慌てたように弁解する。

「―――滅相も無い。そんな気は間違っても起こしませんよ。まして、戦女神のような美と勇姿を見せるあなたを慕う男は多い。そこへ俺が抜け駆けの一つでもすれば、犬のように嗅ぎ回るゴーシュの男達の殺気が間違いなく飛んできますからね。いくら俺でもゴーシュの男達を敵に回す度胸なんてありませんよ。・・・まったく、本音を言えば、あなたと2人きりでお話出来る機会が少ない事をいつも意に染まないと感じております」
「お前は相変わらず口先だけは上手いな。王宮に住まわれる貴婦人達ならば一ころだろう」

以前こそウォルターの言葉にからかわれていると無口になっていたが、しかし今では抵抗が出来た。
わざと話を摩り替えるだけの月日と余裕が出来た少女に、尚もウォルターが口を開く。

「ですから―――」
「分った。どうせまだここから退却は出来そうに無いしな。お前に付き合ってやろうじゃないか―――妙な事を言えばまたぶん殴るからな!」

ウォルターは大胆不敵にもこの少女に、下心も無さそうな笑みで誘ってきた事があった。

―――水浴びでもご一緒にいかがですか?・・・と

この時初めて少女が、自分は女だとウォルターに怒鳴りつけ、同時に2人が男と女であると実感させたれた苦い出来事だったと、少女はよく覚えている。
最初こそ、良い友人になれると思っていたが、あの時から少しづつ変わってきたような気がした。
少女の強気ながら赤らめた頬を見て、ウォルターは再度困ったように苦笑させる。
相当あの記憶は彼女にとって恥ずかしかったらしい

「それは怖い・・・。またあの時のように頬が腫れ上がるのはごめんですからね。ならば心身ともに、王宮に仕える騎士の如くエスコート出来る様、尽くしてみましょう」
「いい。いい。冗談だ。あまり本気で捕えられても、私は困る。―――少し待て。他の者に伝えておく。私がいなくなって騒がれるのは目に見えているからな」

少女が少しばかり憮然とした様子を見せるのは、大事にされている事への照れ隠しだ。
それを知っているウォルターは、指摘する事も無く(そんな事を言えば少女に殴られるだろう)ただにこやかに微笑んでそれを肯定する。
しかし少女が馬に跨ったままウォルターから背を向け、他のゴーシュ人の元へ駆け寄り、話し始めた一瞬―――

その男がまるで何かを決心するような、そんな鋭い真顔でその少女を見ていたとは、誰一人として気づく事は無かった。






推敲更新日

2007年9月14日

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