誇り高き王女の名は・・・<後編>








本日も心地よい快晴になるようだが、少し寒さを含んだ西風が強く、眠い眼を擦らずとも目が開いてしまう。
夜明けと共に、戦闘に携わる者達は一日の始まりを礼拝に捧げる習慣がこのレドリストにはあり、 例外ではないアーロンもその行く途中だった。
実は朝にめっきり弱いアーロンは今日もまた人より遅く起床し、早々と礼拝堂に向かっているものの、いつもならば人の行列が見える道に、人気はほとんど無いに等しい。
―――アーロンは決して神の存在を崇拝するような信者ではないのだが、悲しくも勘当された眷属<ラデュアーツ家>に叩き込まれた呪い<習癖>によって、渋々参じているに過ぎない。

例え体は眠っていようと、何かに釣られる様にふらふらと体が勝手に動き出すのである。
もはやこれは礼儀云々に厳しかった継母の教育の賜物としか言いようがない。

(―――やれ、習慣とは末恐ろしいもんだ・・・)

歩く目の先々には、宮廷のような華やかさを捨てた灰色の柱と石畳のみ。
挨拶を交わす多くの者には、昔こそ異物を見るような眼もあったが、今や尊敬を含んだ礼を返す兵士や騎士達、好意を含んだ侍女や支給人達との会話は穏やかなものとなっていた。

「おはようございます。アーロン様」
「ああ、おはよう。・・・確か君は先日奉公してきた侍女殿か。―――生活には慣れましたかな?」

そう悪戯に、けれど怖がられず、畏怖されないよう穏やかに―――そばかすの散らばった12、3ほどの少女に微笑みかけた。
城に奉公のため訪れる者は全て第一継承権を持たぬ貴族達の就職場となっているため、さすが色と華の貴族出身のお嬢様―――己の顔を良しとしていないようだが、なかなかの美貌っぷりだ。
少女は一瞬こそ目を見開いて驚いた様子を見せ、気弱な性質なのか、少し気恥ずかしげに視線を泳がしていたが、戸惑いながらも頬を赤らめて頷く。
今だ一度も目線が合わない。

「アーロン様のような、ご立派なお方に私のような下々をお気遣い下さって・・・光栄の極みです・・・。もちろん、城を職場とする身ですから、指導は厳しく、家が恋しいと思う日も少なくありません。ですが―――」

戸惑うように言葉が切れたかと思うと、ようやくはっきりと彼女の群青の瞳がアーロンを見上げた。
それは彼女の美しさを十分に引き立たせるような、幸福に満ちた笑顔で。

「―――王女様が、身分があるだけの私を・・・愚図でなんのとりえも無い私を侍女にと選んで下さって。それで、もしかすれば私の単なる自惚れと、そう言われてしまうかもしれませんが、私を大事に大事にして下さるのです。ですから、一度も帰りたいと思った事はございません」

まるで恋でもしたように、頬を高潮させ、そう語る侍女に、アーロンは満足げに頷いた。

「それはよろしい事です。我らの王女のため―――今日もお願い致します。彼女も良き話し相手が出来たのだとお喜びになられておいでだった。まさかそれが貴女だったとは・・・」
「私のような卑しき身にはもったいない事です。・・・あっ。では私はそろそろ。王女様と朝のご挨拶するが私の最初のお仕事ですから」
「これは引き止めて申し訳なかった。では、私もこれで失礼しよう」

王女が日々受け入れられていく現状を素直に喜ばしい事だと、アーロンは気持ちが軽くなる思いだった。
一昔こそ、王女に関わる全ての者を疑わなければ彼女を守れなかったために、こんな気軽な会話をまともに出来なかったのだ。
しかし、彼女を認める者が一人、また一人と増える度―――アーロンは己の存在意義について自問する回数も多くなった事も事実。



あと何年、己は彼女の傍を守っていけるのだろうと。



(何を馬鹿な事を・・・。らしくも無い・・・)

そんな気弱な心の迷いを、叱咤しアーロンは活を入れるように前を見据える。
この先は大広間に通じるため、大声を出せばそれが跳ね返るまでに道は広い。

(・・・ん?)

ふいに目にした金色を見て、アーロンの動きは障害にでもぶつかった様に立ち止まった。
はてと、首を傾げてただ目の前にいる美少年に目を点にする。
見間違いも無くその少年は西大陸<ウェールド>を完全統一させた西国<アルハーツ>第一王子―――アルハーツ・ダルク・シェリルスだった。
まさか、主に騎士や従士などが神に祈りを捧げるための礼拝堂<カペレ>に通じるその道に現れるとは思わず、アーロンは再び何事も無かったように、廊下を歩き出す。
もしかすれば、神に祈りを捧げる事を朝の習慣にしているのかもしれない。
向こうもこちらに向かって、王族らしき堂々たる風で歩いてくる。
間違いなく鉢合わせになる事が、聊か不愉快だ。
なんせ、彼女<王女>を泣かせかけた不届き物である。痛々しい過去を思い返せば、ダルクの行為到底許される訳が無い。

何故ここにいらっしゃるのか―――?

その背後にはやはり将校・ドローの姿があり、レドリストの犬<騎士>を見つけるなり、少しばかり苦渋の顔つきに変貌した。
それにしても、いささか顔色が悪いのもいかがなものか。まるで悪い知らせでも聞いたような様子だ。
―――事実、その時将校の耳に届いたのはアルハーツにとって悪い知らせである事を、この時のアーロンが知るはずも無く。
周りの侍女や兵士達もその奇妙な光景に首を傾げつつ、一国の王子に対して頭を下げて通り過ぎて行く。
アーロンも不審げに眉を寄せたのを隠すため、頭を下げて早足にダルクとすれ違った瞬間だった。



「『エル・エデル』<背徳の騎士>」



一体どこでその異名を覚えたのか。
呼ばれた本人であるアーロンは未練がましく立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
ダルクは背中を見せたまま、ただ敵意を宿した翡翠の視線をひしひしと感じる。

「お前の、名は?」
「・・・―――アーロンとお呼びください」
「『アーロン』<誇り>か。伝説の騎士王の名をそのまま引き継いだ訳だな―――覚えておこう」
「光栄の極みです、ダルク王子」
「ふん。どうだかな。―――色狂いめ」

妙に語尾を強めて、ダルクとその将校・ドローは礼拝堂までの道から遠ざかっていった。
その小さい少年の背中を見送りながら、アーロンは目を細める。
一体何のために己の名など聞いたのか。
しかし、アーロンでも分る、彼のあからさまな態度に息をつきながらも、本来の目的を思い出し、足を急がせた。
王子の『嫉妬』などに興味は無い。
それは王女の隣にいる事を誇りにし、それを許された故の強みだった。



さぁ、急げ―――



全ては召喚を命じた『彼』のために。




**********




国の象徴である青に昔は彩られていたその部屋は、今こそ暖色の赤に囲まれていた。
少し暗めの部屋は妙に広く、壁の覆うまで本棚がぎっしりと詰まっている。
暖色を灯すシャンデリアが天井高く吊り下げられ、窓が一つも無いのは暗殺者等々の侵入を防ぐため。
部屋の中心―――王室の書斎にて嘆願書や多大な量の書類にサインを書き入れるオリオンは、深く呼吸を吐き出してその作業を止めた。
若々しい顔つきと麗しの容貌は疲労感に力が無く、何かを思い悩むように指先が額に触れる。
ルビーのような赤い目をその長い睫毛が隠し、憂いがかった表情もまた絵になるような美があった。
ふいに、誰もいないこの部屋からコツコツと木の乾いた音が響いた。

「―――入れ」

入ってきたのは漆黒の軍服を身に纏った背徳の騎士―――アーロンである。
慣れた挨拶とはいえ、律儀と敬意を込めた敬礼は彼の性格を鏡のように映し出した生真面目さが伺えた。

「―――殿下。お呼びでしょうか」
「ああ、随分と早かったね。・・・ちなみに、人払いを済んでいるため、この場に誰もいない。これは公務では無いから、肩の力を抜いていいよ。僕はそうするからね」

少し楽しそうに微笑を浮かべ、オリオンは訪問者を歓迎した。
今回の件もあってか、アーロンは少しばかり不憫そうな表情をしてオリオンの座る書斎へと近づくと、それがきっかけになったように、書斎に体を倒したオリオンは王という座を忘れたように深くため息をついた。

「あの王子の様子はどうなんだ?耳に入る情報に良いものなど一つもありはしない。<レッド・プリンセス>など―――よくもレドリスト貴族達<成金野郎>は僕の愛娘にそんな異名をつけてくれたものだ。ああ、今でもそれで心を痛ませていると思うと父親として居た堪れない気持ちだ」

一国の主という立場と、娘を溺愛する父親という立場に揺らぐオリオンの感情を読み取ったように、アーロンもまた思い悩むように深々と息をつく。
相手は大陸を支配した負け戦を知らない強国―――しかもその第一王子となれば相手が悪すぎる。
断るのにそれこそ伝染病や誘拐など、大層な理由が無ければその実行は難しく。 道具として娘を嫁がせる親の気持ちが分らないと、ただ逃れられない王族の運命にオリオンは苦しんでいる。
恐らく今回を乗り越えた所で、この国<レドリスト>を求めて更に多くの国が同じような条件を突きつけてくる事だろう。



―――王女を人質として我が国に



それはとても心が穏やかでいられるような事ではない。

出来る事ならば―――この幸福が永遠にと願っているのだ。

オリオン夫婦の護衛を勤め、まだ幼い王女をずっと守り続けたいと、ただアーロンはそれだけを望んでいた。
―――しかしそれすらもまるで儚い幻想のように、王族には難しい

「―――そこで、僕はある提案をしたいと思う・・・」

ふいに元気を取り戻したようにオリオンは体を起こし、真剣な眼差しでアーロンを見上げた。
嫌な予感を否定しつつもアーロンは的中するような気がして、覚悟が出来ない状態のまま目元を引き攣らせる。

「・・・なんだ」



「アーロン、君が僕の娘と婚約すればいい。そうだ、それはいい。国内だから面倒も起きず、静かに式も上げられそうだ。国際問題なんぞ、そんな困難にぶつあたる必要も無いとくれば・・・最高じゃないか!!」



―――沈黙


それは長い長い石化という名の重々しい静寂だった。
アーロンの顔から表情は抜けたまま、瞬き一つせず、一方のオリオンもまた、いつも以上の真剣さを帯びて、アーロンを書斎越しから見上げている。


長すぎる無言の空間―――


その沈黙を引き裂いたのは、アーロンの疲労感交じりの深いため息だった。

「・・・オリオン、よく考えてみろ。もしも仮に私と王女様が婚約したとしよう。お前と私の関係はどうなる?」

しばしの沈黙が設けられた。
アーロンの言葉に、見る見るうちにオリオンの表情がこの世の絶望と言わんばかりに、強張り始める。
事を理解してくれたかとアーロンは再び息をつき、悲観に打ちひしがれている友は悲鳴にも似た声で叫んだ。

「―――義息子!?僕より年上の義息子っ!親友ではなく義息子になるのかっ!?」
「・・・しかも私はお前の事を『お義父さん』と呼ばされる訳だな」
「悪夢だっ!」

まるで鳥肌でも立ったように身を一瞬震わせたオリオンは自分の体を抱きしめる様に、両腕で縛り付ける。
非難するような眼差しを心外と感じたアーロンは、眉をぴくぴくと動かし、いい度胸だと陰湿的な笑みを浮べた。

「―――ほほう。発案者がそれを言うのか?」
「ああっ!僕は今後どうやって付き合っていけば・・・っ!君を息子扱い?―――なんて想像しにくい展開なんだ・・・!!」
「―――俺は想像もしたくないが・・・?」

ある日突然と親友が息子―――あるいは父親という事になるのはあまりにも気まずい。
そんな単純な事にすら気づかないほど、唐突な考えだったのだと、アーロンはオリオンが随分と悩んでいる事実に同情した。

「―――そうだっ!アーロン、僕の娘と結婚したら直ぐに離婚という形を取るのは・・・」
「―――私の幸せをどこへやるつもりだ?オリオン」
「・・・冗談だよ」

ふいによろよろとオリオンは立ち上がると、力ないその顔で空笑いし、扉に向かってゆっくりと歩き出す。
その足取りは今にも倒れそうなほど弱々しく、アーロンは取り残されそうな現状に慌てたような声で叫んだ。

「おいっ!どこへ行く!」
「・・・シャルの所に行って来るよ・・・シャルの懐に飛び込んで、ベイビーの機嫌を伺ってくるのさ・・・。ああ、早くシャルの髪に顔を寄せてその柔らか無い体に抱き付いて、それであのふっくらとした唇に触れて―――」
「・・・シャルロット様のお体に差し支えの無いようにな」

オリオンの容赦ない変態ぶりにアーロンは気恥ずかしさから言葉に勢いがない。

「分ってるさ―――・・・あの王子殿、早く帰国すればいいんだが・・・」


―――そうじゃないと、収集のつかない事態になるぞ・・・


奇妙な事を呟いた主に、アーロンは首を捻らせた。
しかしそれを問い詰める前に、オリオンは亡霊のようにゆっくりと力なく扉を開けて、ずりずり裾を引きずりながら出て行くのだった。
そのやつれた様を最後まで見届けた後、アーロンは一人呟く。



「―――まぁ、可能性は否定しないがな・・・」



**********



「・・・」
「・・・」

天候は間違いなく快晴―――

蒼穹の空の下、同じくして青のバラに囲まれた庭園はよく午後のティータイムにと活用されている。
芝生で埋め尽くされた足元、周りは緑と青しか目に付かない空間で、日除けとして白の日傘が同じく白のテーブルに設置されていた。 支給人達が3人ほど一つのテーブルにつく二人のために焼き菓子やら紅茶やらと準備をしている最中、穏やかのはずの空気は何故かぴりぴりしている。

「・・・」
「・・・」

会話は無い。
ただ、この国の王女であるその少女は敵意を向けた目線で目の前に座る少年―――ダルクを睨みつけていた。
一方のダルクは大してそれを気にしていないとでも言わんばかりの涼しい顔。
足を組むその姿すら一枚の絵になりそうなほど美しく、しかし少女にとってはやはり嫉妬の対象にしかならない。
無言のまま、3人の支給人の女性達は道具等を持って退散し、本当の静寂が訪れた。

進展のないこの状況―――

何故こうなったかと言えば、ある意味成り行きである。
客人を持て成す任を王女であるこの少女の義務らしく、だからこそこうやって猫かぶりをしたように少女は大人しくしているのだった。

しかし、その態度は顔に出ているが・・・

ずずず、と象牙のように白い紅茶カップに口をつければ、呆れられたようなため息が聞こえた。

「―――もう少し優雅に飲めないんですか?最初は紅茶本来の香りを楽しんでから頂くのが常識ですよ」

ピキリと、何かにヒビが生じた。

「生憎箱入り娘なもので・・・」
「それはただの見苦しい言い訳ですよ、第一王女殿。少しは王女らしく改善しようという前向きな姿勢を取るべきではないんでしょうか?」

また更にそのヒビは大きくなる。

―――お茶を飲むのにそんな気を使ってられますかっ!

握りこぶしをテーブルの下に隠し、少女は慣れない王女を演じるように無言のまま。
ダルクは出された茶に手をつける事も無く少女に向き直ると、その顔つきが僅かに剣呑になった。

「―――で、何故ここに彼が同席しているんでしょうか?控えるべきだと思うんですがね」

ダルクの目線の先―――少女の後ろで頭を下げているのはアーロンだ。
アーロンもまた少しばかり困った様子を見せ、少女はそれを一瞥する事もなく鼻を鳴らす。

「あら、彼は私の護衛任務がありますの。ですから、同席していてもおかしい事など何一つ無いと思うのですが・・・?」
「―――私の護衛する者も控えさせています。・・・よもや私があなたを殺すとでも思いになられてるんでしょうか?―――だとすればあなたは私に対して宣戦布告をなさっていると?」

少しばかり声を低くして、ダルクが柳眉を寄せて少女を凝視した。
相手が怒っていると知り、少女もまるでその気迫に負けたようにため息をつく。
実はアーロンをここへ連れてきたのはこの王女様。
また逆上し、殴りかかる事にでもなったら大変だと思い、その仲介役としてそばにいてくれるようにお願いしたのだ。
本当は本来の任務が忙しいと分っていながら、しかしそれすら無視して自分のわがままを告げてしまった事に罪悪感を意識しつつ、少女は振り返った。

「・・・アーロン。席を外していいわ。無理を言ってごめんなさいね」
「―――承知致しました」

アーロンは少しばかり元気付けるように微笑んでくれた。
思わず笑みが零れ、内心で再度謝罪しながらも、少女は現実に振り返る。
こちらをしっかりと見つめるダルクの綺麗な顔を再度睨みながらも会話は始まった。

「随分と信頼なさっていらっしゃるようですね。彼はあなたの愛人ですか?」
「―――いいえ。違いますわ。彼は『マイ・エデル』<私だけの騎士>。私が生まれた時からの教育係でしたから、そうお疑いになるのも無理はありませんわ」
「―――その割りにあなたは随分お気になされているようですね。しかし、無謀な恋の夢から早くお目覚めになった方がいい。あなたは王女<プリンセス>。国の栄光を保つ道具でしか無いのですよ・・・?」

その一言に、蟠りのような不愉快さが立ち込める。


「・・・。あなたにどうこう言われる筋合いは無いわ・・・!!どうして私を挑発するような事ばかりおっしゃるの?そんなに私がお嫌いなら、お近づきにならなければよろしいのに・・・!!」


重々しい沈黙が生じた。


その間、少女はダルクを睨み、ダルクもまた少女を見つめる。

「―――あなたは王女としての自覚がなさ過ぎる。もっと王女らしく立ち振る舞うべきですよ」
「王女らしく?おっしゃっている意味が分らないわ。それはつまり、綺麗に座って綺麗に話して、綺麗に着飾る―――私が想像出来る精一杯の王女らしさです」
「そうです。王女は国の鏡です。しかし聞けばあなたは勝手に城下町に出て、勝手に森へ遊びにいく。勉強を怠り、事の果てには騎士なんぞの身分の男に恋という感情を抱き、彼の仕事を妨害なさっている。他国の者との協調性も無く、王女という地位も名ばかり・・・」

ダルクの言っている事は全て本当だった。
ただそれを言われるのが目の前の少年であるという事実は許せない。
好きな人に指摘されるのと、嫌いな人に指摘される違いは大きいのだ。

「私は好きで王女になったわけじゃないわっ!王女なんかになりたくなかったっ!」

思わす声を荒げれば、しかし相手はまるで嫌悪するように目を細めた。


―――怒っている


ただそんな視線に少女はいつもと違うダルクに怯む。
何故怒っているのかは理解出来ないが、とりあえずは自分が落ち着こうと息をついた。
けれど叫ばずにはいられなかったのだ。
もちろん昔のあやふやで今にも倒れてしまいそうな立場だった昔よりはよほど穏やかな環境になったと思う。
本人を目の前に、陰口を叩くものも居なくなったが、第一王女として認められてから色々な景色が変わった。
まるで箱詰めにされているような息苦しさを体験し、自分らしさを封じ込めなければならない義務が気に入らない。
なによりも、アーロンとの距離が遠くなっていくような気がして怖かった。
昔こそ―――<レッド・プリンセス>の名に痙攣にも似た反応を見せてしまう自分を、大事に大事に扱ってくれるアーロンのぬくもりは、それこそ幸福を感じてしまうほどまでに心地が良く、それが特別に思えた事に満足していた。
しかし昔は・・・あんなにも一緒にいられたのに、どうだろう。今ではその時間も短くなり、いつか目の前から忽然と消えてしまうのでは無いか不安を感じている。
ふいに、いつに無く低い声でダルクは小さく唇を動かす。

「―――それでも、あなたは王女だ」

その声には微かに哀しみに似た音調が含まれていたと、直感が訴えかける。
剣呑な目つきのどこかにも違う印象が見受けられ、しかしそれを隠すように、ダルクは辺りの青のバラを見つめた。

「あなたはこんなにも恵まれていらっしゃる。昔はどうあれ、今は父上殿のお力沿いにより晴れて王女の地位につけたのですから」
「けれどあなただって王子でいらっしゃるわ」

そう当たり前の事を反論すれば、ダルクは自嘲気味に笑みを零す。

「―――王子?私が?・・・残念ながら、私は『王子』などと呼ばれた事が無い」
「そんなはずは無いわっ!お話では第一王子だと―――」
「私はまだ認められていないんですよ。正式に『第一王子』であると。―――現に付き添いの大臣にすら未だに『ダルク様』だ。『王子』などと私を呼ばない」

言葉が見つからないまま、ダルクは更に続けた。

「―――私の母は支給人でした。しかし父親は一国の主。二人は愛し合い、周りの反対を押し切って結婚したのです。・・・幸せに見えたでしょうね?禁断の恋愛結婚で結ばれて、周りから見ればそれは物語のように美しい恋だったはずです。―――けれど・・・」

ダルクは何かを思い出したように、忌々しそうに目を細める。
その翡翠の両目に怒りの色を見た。

「けれど、生まれたその子供がどんな目に合うのか―――。周りからは庶民の子供だと罵られ、王子とすら認められない。それだけではなく、この存在すら支障となる―――そう告げられました・・・現に私には兄が二人いましたが、暗殺され、母も大臣達の策略によって追放。父にいたっては、悲しみのあまりか戦争に没頭し、優しかったその心もまるで凍り付いてしまったように冷酷な人になってしまわれた。それでも我が国は皮肉にも色々な成功が続き、繁栄していきましたがね・・・」

最後は他人事のように鼻先で笑い、冷たい印象を孕んだ眼力が少女ではないどこかを睨んでいた。
ダルクは息をつく間も無く、ただ淡々とした口調で続ける。

「あなたは例え何も着飾らなくても、『王女』です。あなたがどんな過ちを犯そうと、どこへ行こうとも、永遠に王女と呼ばれ続けることでしょう。あなたはこの世に生まれ堕ちた時から王女だったのですから。しかし庶民扱いだった私は・・・どんなにらしく装い、着こなそうとも『王子』と決して呼ばれはしない。ならばせめてと、私は理想の王子でいられるように努力をしました。人である事を捨て、ただ国のために尽くす覚悟を神の前に誓いました。あなたのように自由に動けるわけでもなく、自由に何かを言えるわけでもない。こうするしか、私がこの世で生かされる理由が見つからなかった。―――これが幸せの物語で生まれた子供の運命です」

なんとなくだが、何故自分に皮肉口を叩くのか分った気がした瞬間、今までのダルクに対する印象ががらりと変わる。
自分がどれだけ幸せ者であるかを実感したような心地で、ただ何も言えぬままダルクの言葉に耳を傾けていた。


今の自分に何が言えるのかが、まったく分らなかったのだ。


「―――王族には恋愛結婚など必要ありません。幸せのために、王族は地位と名誉とその血統と知名度が必要だと分って頂けたと思います。あなたが望んでいる『愛』は王族にとってどれほど過酷で残酷か―――ただ私はそれをお伝えしたかっただけですよ。第一王女殿」

最後は皮肉で締めくくってから、ここでようやくダルクは疲れたように息を吐き出し、白の椅子に背を預ける。
少女はただ圧倒されたように口をぱっかり開けて、声も出せぬまま沈黙した。

「・・・私は父上の二の舞などごめんです。その子供がどんな目に合うのか―――それを考えると、私はどうしても国を繋ぐための結婚をするべきだと思います。―――・・・愛だけで、国も人も幸せになどなれませんからね・・・」

ふいにダルクは懐から白い手拭に包まれた物を取り出し、それをテーブルにそっと置く。
それは隣に置かれたカップと同じ大きさで、その指先が正体を現すように四つの角の集まった布先を一枚一枚剥がし、露になったものは銀色に彩られた美しいものだった。
その細工の素晴らしさ。鳥が優に翼を広げた彫刻が施されたそれは銀のティーカップだ。
あまりにもの美しさに感嘆を漏らすが、何故そんなものを取り出したのだろうと少女は首を傾げて見せた。

自慢でもしたかったのだろうか―――?

ダルクは黙したまま、熱いお茶が注がれたレドリストのティーカップを指先で掴むと、己が持参した方へと中身を移し変え始める。

一体何をしているのか・・・?

彼女の内心を掴み取ったように、ダルクは妙に演技掛かった笑みを含ませて言った。

「―――銀は毒に反応します。もしかすれば異物が入っているかもしれませんからね」
「何ですって・・・!?」
「確認ですよ、確認。貴方がたもやるでしょう?―――いや、そういえばあなたは先ほど、無謀にもそのまま口に含んでいらっしゃったのでしたね。愚問でした」
「そんなのおかしいわ・・・!!お茶に毒が入っている訳が―――」
「私の国ではそれが当たり前です」

少女の言葉を遮って、ダルクはそう告白した。
その翡翠は真剣で、うそ偽りなど一切無いと、含んだ笑みを見てもそう思える。

「これが私の日常です。私だけではない。他の王族の多くが、銀細工の食器を持参している事でしょう。あなたも他国を訪問する際―――今からでも銀のものを持ち歩く事をお勧め致します」
「・・・。毒が入っていた事なんて、一度も無いわ・・・!!」
「言ったでしょう?あなたは恵まれている。あの騎士が常にいたのだから、計画された事故など回避するのは容易だ。思い当たる節は多々あると思うんですがね・・・?」
「・・・」

そういえば前に―――王女になる前に、何度も己の食事とアーロンのとを交換した覚えがある。
それはほんの他愛も無く、誰であろうあのアーロンが欲したのだからそれを喜び、決して己は断るような事をしなかった。むしろそれが嬉しかった記憶が残っている。

「―――やはり覚えがあるようですね。もしかすれば、その食べ物にも毒が入っているかもしれませんよ」
「・・・」

仮定の話をして、ダルクが視線を向ける先、少女はそれに臆したように手をつけず、ただ黙って用意された菓子を見つめていた。
しかし少女はダルクを真っ直ぐと見つめたかと思うと、まるで先ほどの話を一切無視するかのように―――もしくはまったく聞いていなかったのか、彼女はバケットから菓子を摘むと、何の遠慮も無く口に入れたのだ。

「・・・あなた、私の話を聞いていらっしゃらなかったのですか・・・?」

しばらくの間口元を忙しく動かしていたかと思うと、続いて少女はダルクの銀カップに手を伸ばした。
予想外の行動に眼を丸くするだけだったダルクの視線は、それを己の口元まで持っていくのを追う。
そこからは予想通り。それすら口に含み、まるで味を確かめるように途方も無い場所を見つめて難しそうに顔を顰めていた。

「・・・あなた一体何を―――」
「私に何か変化はあるかしら?」
「・・・。ありませんが・・・?」
「大丈夫よ。毒は入っていないみたいだわ・・・」
「―――でしょうね・・・」

入っていれば、あの順当な騎士がその眼で見抜き、自然な動きでそれを擂りかえり、何事も無かったかのように退散していくのは眼に見ていえた。
再びダルクがため息を零せば、それが気に障ったのか。少女は柳眉に皺を寄せる。

「毒見なら私がしてあげるわ。だからそんな物騒なものを取り出さないでいただきたいものよ。まるで信用されていないようで嫌だわ。レドリストはそんな苛烈な事しないんだから。私の国を侮辱しないで。それにせっかくのお茶会にも水を差さないで頂戴。お茶は私の唯一の楽しみなのよ。そんな事をされては、楽しくお茶も飲めやしないわ」
「・・・。それは、失礼しました」
「―――ねぇ、さっきのお話。あなたが生まれた理由なんて一つで十分だと思わないかしら?」

少女の赤目に僅かな強気が立ち込める。
ふいに、少女は花すら称えた万遍の笑みを、初めてダルクに見せた。



「あたなは愛されたから生まれて来れたのでしょう?」



「・・・」

ダルクは怪訝そうに柳眉に皺を寄せたが、少女は続ける。

「―――ねぇ、子供の名前って親が最初に与える愛なんですって。『ダルク』には一体どんな意味があるの?」
「はっ?」
「王族は子供の名前に意味を持たせるのが習慣だと聞いたわ。よく言うでしょ?―――綺麗なモノは目に見えないって」

ぱちくりと、ダルクは言われた事を理解しきれていないように、狼狽した様子だった。 ただ一心に少女を見つめる。
一方の少女も気になるといった様子のその眼力は意気揚々としており、ここは答えなくてはいけない現状へと発展した。
ダルクは躊躇いように目線を泳がせながら、最後には気恥ずかしそうにそっぽを向いたまま小さく答える。



「―――『希望』・・・です」



「あら?素敵な名前ね。きっとご両親はあなたの事をとっても大事にしていたに違いないわ」
「・・・まぁ、否定はしませんけどね・・・」

少女の陽気な声は非常に明るく、ダルクを嫌っていた過去がまるで嘘のように少女は微笑む。
少しづつながらダルクも少女との関わりに影響されて、いつものような皮肉口は出なかった。

「私―――あなたの事嫌いだけど、出会った王子様の中で一番王子様らしいと思うわ」

一間置き、少女は無垢な瞳をダルクに向けて、少し悪戯を企んだ無邪気な笑顔を見せる。







「だからあなたは王子だって私が保証するわよ」






ダルクは驚いたように目を見開き、息を呑んで少女を凝視した―――が、直ぐにその口元は笑みへと変わり、いつもの涼しげな顔で言った。

「王女様らしくない王女様に保障されても―――まぁ、そのお気持ちだけ受け取っておきますよ」
「その皮肉口止めた方がいいと思うわっ!」

ぷいっとそっぽを向き、沸き起こった怒りを覚ますようにカップに手をかけた時だ。
その際、何故かダルクの言葉が脳裏で再生され、思わず手を引っ込めた。
不本意ながら王女になったとしても、ダルクのように自分も努力すべきなのかもしれないと、少女は思案する。


―――王女様らしく・・・?


そんな事を考えながら持ち上げたカップをじっと見つめ、『持ち方とか直した方がいいのかな』などと目を瞬かせる。
再度ため息が聞こえた。

「―――仕方がありません。紅茶の飲み方すら知らないあなたのために手ほどきして差し上げますよ」

そう言って立ち上がったダルクは、訳が分らないといった様子で眉を寄せた少女の背後に立ち、その手に触れた。
ぎょっと驚く間も無く、密着した状態に嫌な冷や汗が浮かびそうだ。

「いいですか?」

耳元から囁くその声を意識しないようにしながら、少女はカップに手を掛ける。

「・・・こうかしら」
「肘の角度が違います。背筋伸ばして―――猫背になりますよ。それとその左手は膝に手を置く。カップを持つ時にも絡む指の方向というのがあって・・・」

数々の指摘に少女は疲れたようにため息を吐き出した。

「―――お茶を飲むのって案外楽じゃないのね・・・」
「あなたは敬語が使えない訳では無いご様子ですが、直ぐ素が出てしまうのは問題ですよ。私語ではなく公的に敬語を使ってください。うっかりは禁物なんですから・・・」
「・・・あなた王子じゃなくても立派な教育係になれるわよ?」
「私は教育係などで終わらせるべきじゃないんです。王になるべくして生まれた身なんでね」
「認めなく無いけど納得してしまうわ・・・」
「私語禁止ですよ」

持ち方等々の指導をみっちり受けながらも、少女は案外真剣に治す努力をしていた。
ダルクは少女に見えないその位置から笑みを零し、何を思ったのか少女の耳元に向かって艶やかな声で囁く。


「―――そういえば、あなたは『愛』を求めていらっしゃいましたね?もしも私が、それすら与えても良いと―――そう頷いたとなれば、あなたは私のものになって下さるんですか?」
「・・・っ!?」

少女は本能のように頬が熱くなるのを知って、それを振り払うように立ち上がった。
後ずさったダルクの方へ振り向き、少女は冗談じゃないと言わんばかりに言い放つ。

「から・・・!!からかわないで頂戴・・・!!」
「たとえばの可能性ですよ。そんな露骨な反応は地味に傷つきます・・・」
「弄ぶような事を言うからよ!!馬鹿!!」

その場から逃れるように城に向かって走り出した少女に、慌てたようにダルクは叫んだ。

「第一王女殿っ!」

ぴたりと立ち止まり、少女は振り返る。
ただその顔は不機嫌そうに柳眉を寄せて、しかしそれすら知らないようにダルクは微笑を浮べた。

「―――今朝、我が国から速報が届きました。父が無謀を起こし、我が領地に住処を置く亜人達に王都を奪われたそうです。・・・あなたの父君のおっしゃった通りだった。聖域の亜人に、手を出した罰が下ったようです」
「それは大変じゃない・・・!!」
「ですから、私は即刻帰国し、我がキング<父>に、レドリスト国王から承った受託をお伝えしに帰国する事となりました」
「・・・」
「―――短い期間ながら充実した日を過ごせた事に感謝いたしましょう。どうぞお元気で」
「・・・。あなたも・・・。また機会があればお茶にくればいいわ」
「そうあなたの口から言って頂ければ何よりです。―――何を隠そう、あなたとは衝突してばかりでしたからね」
「それはあなたがいけないわ!!だって・・・!!」


―――レッド・プリンセス<魔物姫>だなんて!!


再び、怒りに顔を歪めようとする彼女にダルクは薄く苦笑を零した。
それは棘の無い、本当に穏やかなもの。

「我が国では、赤は『誇り高い』を意味します。それは我が聖域に聳え立つ火山の赤を指し示していると、あなたはご存知なかったのでしょう。異文化を知らなければそのような誤解を招く。せめて携わる国々の特徴をよく把握し、勉学を怠らぬよう精進なされた方がよろしいですよ、レッド・プリンセス<誇り高き王女>」

やはり見下したような笑み。どこか己を誇り、胸を張る姿。侮辱は許さず、決して地面を這い蹲るような事はしない。


ああ。やはり―――


この二人は、よく似ているのかもしれない。


少女は、勘違いを犯し、無礼にも二度手を上げてしまった過去を後悔し始めた。
もう少し、自分も成長しなければ―――と。

「・・・」
「私は必ず王になる。例えその道が険しく遠かろうとも。―――あなたも精々、他国に踏み潰されないよう、努力なさる事だ。―――あなたの言う魔王にでもなって下さい。そうすれば少しは平等に扱う事を考えてもいいでしょう」
「よ、余計なお世話だわ!!あなたに言われずとも、私は天下無敵の魔王になるわ!!ええ、馬鹿にして下さっても結構よ!!」

その言葉を承諾としたのか、ダルクはくつくつと肩を震わせて笑っていた。
許可したとは言え、直ぐに笑うのはあまりにも無礼ではないか!!
しかしそれで不服を唱えるのはあまりにも具が悪い。
黙していると、彼はこんな事を告げた。

「―――その『お話』。続編があるのをご存知で?」
「・・・えっ・・・?」
「今は第4巻まで出版されていますよ。―――ちなみに、私は全て持っています」
「えぇっ!?」
「私が最も気に入っていますからね。『正義の魔王様』のお話は」

なんだ。そうなのか。
へぇ、読むのか。


なんだ。やはりこの二人は―――・・・





―――似ているのかもしれない





「そろそろ私もお暇しなくては。―――最後に一つ、お教えくださることは出来ませんか?」

少女は可愛らしく首を傾げて見せた。
一体何を?

「―――私はあなたの名前を知らない。第一王女殿<レッド・プリンセス>と呼ぶのも少々堅苦しいと感じています。よろしければ、お近づきの印にあなたの名前を教えては下さないでしょうか?」
「・・・」

しばし沈黙を設けた後、その少女は花が綻んだような笑顔を浮べた。

「知りたい?私の真名を―――」
「釣れない方だ。機会はいつでもありますからね、その時でもよろしいですよ」

「・・・。そういえば、あなた私の手拭いを持っているわね」
「ええ」

それが何か―――と、ダルクが尋ねるよりも早く、少女は悪戯でも仕組んだ子供のように口元の笑みを深くした。


「それをよく御覧なさいな。私の真名はまさにその柄そのものよ」


まるで誇るように、少女の凛とした声音がそう告げた。
気恥ずかしさからなのか、その少女は再び踵を返して、止める間もなく走り去っていく。
その際に零した微笑に見入られ、ダルクはその王女の小さな背中を呆然と眺めていることしか出来なかった。



「・・・手拭・・・?」





**********



「レッド・プリンセス<誇り高き王女>だなんて!!ふふっ、赤は魔物の色なんかじゃないのね!!」

少女は走りながらも嬉しそうに笑顔を零す。
芝生が広がる庭園から城の内部に繋がる、外と併合した廊下へと移ると、頭を下げる支給人に紛れた一人に注目した。

短く散髪した黒髪と、銀色の鎧を着こなす精悍な顔つきが魅力なその騎士―――

目が合うと、ひどく驚いた表情を見せる。
天井と床を支える石作りの白い柱に寄りかかるアーロンを見つけて、少女は一目散に走り出した。
彼は―――アーロンはきっと心配して待っていてくれたのだろう。
それが嬉しくて、歓声を弾ませる。

「アーロンっ!」
「―――王女様、ダルク王子は一体どうされたんです?まさか、抜け出して来てしまわれたのですか?」

早いお茶会の終了にアーロンは目を丸くしつつ、何かを見つけたようにその視線を少女のドレスに向けた。

「・・・?どうしたの?アーロン」
「―――いえ、それはダルク様の贈り物ですか?」

指摘され、その目線に沿って顔を下ろす。

「・・・これは」

いつの間にか胸元辺りにある小さなポケットに一厘の小さな赤い薔薇が顔を出していた。
棘はちゃんと抜いてあるようで、少女はただ目を丸くしていつの間にか入っていたそれを、まじまじと見つめる。

バラの花言葉―――それは・・・

しかしアーロンの推測とは違い、ぱちぱちと可愛らしく目を瞬かせて、少女は本気で思案した。


「あら。ダルク王子は私の名前を知っていたのかしら・・・?」


(救われぬ王子殿だ。しかし、そう簡単に手篭めにされても困るというもの。むしろこれで良かったのかもしれない・・・)

不器用ながら伝えてきた告白にすら気づかないのか、はたまた気づかない振りをしているのか―――

ただ少女はそのバラに向かって微笑みかけた。

「―――やっぱり私の名前は素敵だと思わない?」

例え貶されようと、罵られようと―――

大好きな父と母から貰ったこの高貴なる名前は誰にも汚させはしない。
誇るようなその少女の笑顔を見つめながら、『エル・エデル』<背徳の騎士>は安堵に息をつく。


「―――もちろんです。『マイ・ロドン』<私の薔薇姫>」



**********



既に出立準備の整っていた空船に乗り込んだダルクは、出窓の用意された室内の椅子に腰掛けていた。
護衛の兵士が二人、この部屋の外で待機し、同行者だったドロー将校は老体という身のため、用意された部屋で休息している事だろう。
しかし、王都が大変な事になっているとの情報だから、もしかすれば危惧するあまり寝込んでしまっているのかもしれない。



―――同盟国レドリスト国王<オリオン・グローリー>の名の元、貴国<アルハーツ>の補佐を担おう


警告を無視したというのに、海戦において今だ負けなしの閲歴から、『海王』の異名を持つオリオン王は寛大にもそう頷き、色々と手当てをしてくれるという。
それだけで、何故か安堵してしまうのは、敬慕のような存在として己が彼を認知したからかもしれない。
青い空を優雅に飛ぶ空船<ブルー・ウィンズ>。その下から覗き込む海の都・レドリストの美しさは自国には無い自然の色が多かった。
ようやく落ち着いた頃合。穏やかな時間が流れる中、ふいにダルクは胸元から白の手拭を取り出す。
赤い線が二本、外回りを囲むように走り、その隅にそれはあった。


緑の茨に守られるように、小さく咲くのは・・・




―――赤い薔薇。




それを見て、ダルクはようやく合点のいったように、翡翠の瞳を和ませた。

「―――ああ。そうか・・・これは確かに・・・」

青のバラしかないこの国で唯一赤い薔薇を見つけた事に、今更ながら気が付くと、ダルクはふっと笑みを零す。


―――赤薔薇は私達の自慢なんですよ

王妃―――シャルロットの笑顔を思い出し、ダルクは「なるほど」と、呟いた。

「確かに美しい赤薔薇だ」


―――まぁ、少々棘は多いが・・・


最初こそ己と同じ境遇で生を受けながら、あまりにもの待遇の違いに嫉妬心すら抱いていた。
王女としての自覚の無さが正直許せなかったが、その性格は嫌いではない。

「・・・やはり私は父の子か・・・」

―――とりあえず、自分の精一杯の『気持ち』は伝えたはずである

我ながら詐欺な事をしたと少し恥ずかしくなったが、少なからず『友人』としての接点を作り出す事が出来たのだから今回はよしとしよう。
じっくりと赤薔薇の棘を抜き去る方法を模索しながら、最大にして最強である棘(宿敵)を―――アーロンを出し抜く略策を考えるのだった。



―――彼女の『名』は・・・



ダルクは愛しむようにその名を囁く。





「『ローズ』<愛>・・・か」





ダルクは少しばかり気難しいその顔を穏やかにして苦笑した。




―――ローズ<愛>を手に入れるのは、きっと何よりも難しい事なのかもしれない・・・




**********
あとがき

番外編という事で、とりあえず強制終了という形で締めくくらせていただきました。
さてはて、王女ローズがどちらを選ぶかは、まだまだ先の話でございます^^
アーロンが壁を越えるのか、それともダルクが一線を越えるのかは未来の話。
その後については、この場で語るのは伏せて起きますね。
うう・・・っ!!書きたいっ!だけどどっちかが幸せになれない設定って小説にしにくいですよ(笑
この後、色々あります。
王道的な争いや戦い、戦略と陰謀等々が彼らを待ち受けていることでしょう。
ただ本編と大分かけ離れるので、それを小説にするかは不明です。
それではでは、短いながら乱文失礼致しました。m(_ _)m

推敲更新日

2007年10月05日

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