世界で一番・・・<我輩は騎士である>








―――我輩は騎士である





・・・と胸を張って堂々と宣言できるほど立派な生き方はしていない。
日当たりしか知らなかった我輩は日向の暗闇に臆し、恐れ多くも君主を裏切ったことは一生掛かっても償えるものではなく。
君主のために罪を背負う事。それを覚悟しながらそれを恐れ、失う事を躊躇ったのだ。
そんな我輩を人は『エル・エデル』<背徳の騎士>と呼び、暴れ馬だと良い意味でも悪い意味でも囁かれた―――そんな我輩が、である。
きっと、人が思っている以上に我輩は弱かったのだろう。


―――いや、弱かったのだ。


故に、君主の優しさに気づけぬまま、我輩は己を頼ってくれぬ主に間違った怒りを覚えてしまった。
その頃、どれだけ君主が辛い立場にあったのか。それを知って尚、だ。
第一王子にその命を狙われ、食卓に毒が入らぬ日など無く。白昼堂々の暗殺はもちろんの事、本人を前にしたどうしようもない悪口雑言。
それに加え、陛下が感染病を患い、寝込んだ際代わって政治の片棒を担いだ時―――彼は『とある事件』の汚れ作業を何の文句もなしに引き受けたのだ。
罪も無い者達をも殺さねばならぬその任務を―――そんな任務を我輩にやらせたくないと。その不器用な優しさとその時にどれほど弱り果てていたとも知れず、我輩は追い討ちを掛けて裏切った。


信じていた。信じていたのに!!


彼の最後の、その言葉は和解した後でも悪夢で見る。
悪いのは我輩だったというのに。
しかし、一気に全てのモノを失った我輩は、復讐で生きるしか術は無く。
恨むことでしか、生きていけなかったのだ。
そんな我輩を、何故『最強の剣豪』などと称えられるというのだろう。
しかし、一時期はイージェスト<奈落者>などと言う輩にまで落ちぶれたほどの我輩であっても、今やそのプライドを取り戻すことに成功した次第だ。
やはりこれは純粋純情美女・シャルロット様のお陰と言えばそうであり、今思えば実に惜しい事をしたと思う。

華麗にして美麗のシャルロット様―――

一時はその隣にいる事を許され、その夫としての権利すら授かったが、我が君主にして我が友・オリオンの見せた本気にそれを断念せざおえなかった。
そして未だに手放せない白の手拭は週に一度は洗濯しているものの、やはり月日と言うのは悲しいもの。
ぼろぼろになっていくのを見ているのが辛いものだ。


―――そうだとも


今だにこの年ながら結婚どころか想い人すらいない毎日。

この心を慰めてくれるのは、身分に関わらず、麗しき婦人方なのだが、何の前触れも無く我が部屋へ夜這いを実行しに来るのはいくらなんでもやめて頂きたい。
嬉しくない?いや、そんな事はない。しかし困るのだ。
稽古と任務に明け暮れる体は寝不足で悲鳴を上げているというのに、夜を楽しむ余裕などあるはずも無い。
時には同じ事を目論んだ貴婦人方が鉢合わせ、深夜に殴り合い、罵倒し合っていた事すらあった。
しかもその最後には、被害者である我輩がその白い眼と怒りの矛を向けられるのはあまりにも理不尽ではないか?
それならば未だしも、同じ目的という事で協定を結んだ貴婦人達に複数で攻められた事もあり、今でも思い出せば身震いしてしまいそうだ。
我輩はあの時危うく胸につけた凶器で窒息死する寸前だった。

毒だ。彼女達は毒だ!!
命からがら逃げ出せた事は不幸中の幸い―――かと思いきや、次の日に流れた噂は妙にも『アーロン同性愛説』。


ありえない・・・!!ありえないだろ・・・!!


白昼堂々、否定させていただこう。

皮肉な話―――婦人達に好意を寄せられている我輩を妬む男子諸君はそんな身も蓋も無い噂までも流してくれるものだから、城に仕える支給人達の意味ありげな視線は時折どうも居心地が悪く、その心のうちが見えるようで恐ろしかったものだ。
これだけ熱い視線を注がれ、それを僻んでくれるのは良く分る。
しかし、好意を寄せられるという事はそれ相当の悩みが生じてしまう事もまた然り。


「アーロン様・・・。私、心からアーロン様をお慕いしております・・・っ!」

自分が始めて我輩に会った事から現在に至るまでの心境を話し終え、ついにきてしまった彼女の最終目的である言葉はやはり我輩が予想していた通りのものだった。
気弱な眼。しかしその瞳には熱烈とした印象が意思の強さを物語っているようだ。
その白い顔を耳まで真っ赤にさせ、身なりの良いその女性は潤んだ目つきで我輩を見上げてくる。
恐らくは貴族の身分であろうその女性はもちろん顔の作りはそれ相当のもので、年頃も調度いいはずだ。
だが、実際我輩がその女性と対面したのはこれが始めてで、どう対応すればよいのかと弱りきっている。
城内部の廊下であるにも関わらず、周りに人がいないのは現時刻が夜であるからだ。

「アーロン様・・・っ!私はこの胸の心中をお伝えしたのは、アーロン様のお心に少しでも近づく機会を私にお与えになって欲しいと、ただ切実に願うからです・・・っ!ご迷惑である事は重々承知です。ただ、どうかお願いいたします。その口から、お答え下さい・・・!」

今にも泣きそうな表情を浮かべ、その女性は声を震わせている。

嬉恥ずかしい―――

やはり告白されるとは照れくさいものだ。

だが―――思わず強張ってしまう己の心情が声を頑なにした。

「―――貴方のような麗しく、聡明な女性に想いを寄せられるなど、このアーロンにはもったいないお話だ」
「・・・」
「・・・すまない。それでも、私が貴方のお気持ちをお受けする訳には、いかないのです」

はたりと息を呑む、聞こえないその声を聞いたような気がした。
その一言だけで、女性の目じりから涙が零れ、泣きそうな顔がついに泣き出してしまった。
互いに挨拶を交わす事も無く、まるでその場から逃げ出すようにして、そのまま廊下を走り去っていってしまったのを我輩は見送る事しか出来ない。
泣き声を押し殺す、痛々しいあの後ろ姿を見るのはこれが初めての事では無い。
そう思う度に―――ああ。胸が痛む。
結局我輩はこうやって傷つける事しか出来ないのだから―――
それでも、後悔はしない。
ここで馴れ初め合い、我輩の心が騎士として弛むのも許せないし、何よりもその気が無いのにも関わらず付き合おうとする様な下郎にはなりたくない。
我輩は恐らく・・・一生婚姻する事はないだろうから、その必要はないのだ。
それに今や恋愛に己の青春を捧げられるほど、我輩にも余裕は無い。

静かになった廊下。

しかし天井を支えるように連なった白の丸い柱がこの廊下には並び、隠れるには絶好の場所である。
背後から複数の気配を感じ、嘆息一つと共に腰に装備した剣に手をかける。

彼女に早々と退場してもらって、今回ばかりは良かったのかも知れない。
己の押し殺していた殺気を緩ませれば、どこかで息を呑んだ。
まるで獲物を狙っている肉食動物のような気配の消し方で忍び寄ってくるのは複数か。
さすがに毎晩同じ事をやっていると緊張感と言うものがなくなってしまう。


「―――いつまで私に付きまとうつもりか。私もお前達の遊戯に付き合っていられるほど暇ではない」


厳かに、ただその一言だけで出てくるのは暗殺者という名のすばしっこい刺客だ。
すぐさま振り返り、剣を抜き去る。
矢やら短剣やら飛んでくるのを避けるのは難だが、避けられないわけではない。
相手は6人。
その正体がばれないように黒い外套で身を包み、顔すらも目元まで隠す徹底振りだ。

しかしそこまでしなくても分っている―――


「第一王子を支持する者の手先か―――?」


だが回答が来るわけではなく、変わりに攻撃というなの刃に体制を低く取って太刀打ちした。

そこらの剣士と同等に扱われては困る。
一振りで二人をなぎ倒し、返り血は我輩だけでなく床をも汚す。
再び背後から剣を振り上げる気配を感じ、すぐさま己の剣と混じり合わせた。
む。どうやら力は互角か。
だが相手に我輩の刃を止め続けるだけの体力がないらしい。
悔しげな目元と皮膚に浮かんだ汗が黒の外套に吸収されていく様を一瞥し、しかし一方で我輩は長期戦なんてなんのそのだ。
多少汗ばむものの、コイツほど滝の如く汗は流さない。
ふいに、その暗殺者は息切れのような声で我輩に言った。

「―――落ちぶれのイージェスト<奈落者>風ぜいが・・・っ!よくもぬけぬけと帰ってこれたものだ・・・!!」

―――そうだとも

やはり過去の経歴というのは隠せないもの。
間違った道を一度でも行ってしまったと、我輩の存在を疎む大臣達は自分の事など棚に上げて大々的にこの存在を否定するのである。
たった一度きり。
確かに我輩は誤った道を行った。
人を殺し、人から盗み、人を騙してきた事は消えない罪。

だが、言い訳をすれば、過ちを犯さずして人は生きられようか―――?

―――否と、我輩は答えるだろう。

なんせ我輩は今も罪を犯して生きているのだから。
オリオンは今、第一王子であらせられる兄上殿との冷戦に、息が詰まるような緊張感を伴われているに違いない。
余談だが、オリオンの兄上殿は容姿端麗である事は事実だが、その頭では何を考えているか不明だ。
人の皆殺しを好み、女を弄び、挙句の果てには国さえも滅んでよいとすら言いそうなその態度に現時国王―――つまりオリオンの父上殿も頭を抱えている。
その一方で、オリオンはその赤目を毛嫌いされているものの、シャルロット様をこの国に迎え入れられてからその性格が一遍。
もちろん昔は好色であったのも事実なのだが、それはオリオンの寂しさを紛らわせる為――――そしてそれが『愛される』という事だと本気で思っていたと言うその純粋な心ゆえの事だ。
しかし今ではまるで第二のシャルロット様のようなそのお心がどうやら最近好調な噂を呼んでいるようであり、我輩としてもそれは嬉しい限りだ。
そして我輩もまた、友であるオリオンを傍で支えるべく実力で騎士の座を得た。

―――実弟がいた位置を我輩が奪ったのである

だが今や我が一族とは縁を切ったし、相手も相手で我輩を兄とは思ってないらしい。
今や互いが互いを憎み合う関係でしかないのだ。

それが『奪う』事の代償―――

騎士として罪人を殺し、騎士としての職を実力で奪い取り、我輩が今狙っているのは宰相の座。
そのためにもまず騎士団長の座を頂かねばならぬのだが、どうも今の騎士団長は腹の底が黒いようだ。
毎晩毎晩刺客を送り込んでは、我輩を暗殺しようと目論んでいる。
それだけではなく、シャルロット様とオリオンの婚儀が完了してちょうど半月経つのだが、オリオンを快く思っていない輩もまた多いことは事実だ。
この前殺されかけたのを危機一髪で我輩がそれを回避したのだが、その際に恥ずかしながら右肩に怪我を負った。
その時は本当に困ったものだ。

オリオンは『何故庇った!』などと怪我を負った事を怒り、シャルロット様にいたってはぽろぽろと涙を零される始末―――

もう我輩が悪いみたいな状況に途方に暮れた。
腕は痛いし、視線は痛いし、純粋な二人が真剣に我輩を心配してくれていると笑みを浮べれば「何を笑っている!」などと容赦ないオリオンの嫌味。
いやはや。陰湿的ではなくなったものの、刺々しい皮肉は前にも増してレベルが上がった。
お二人方に我輩、少しばかり変な表現をすれば愛されていると思うと、どうも笑みを浮べずにはいられない。
うむ。我輩―――こんな二人の幸せを守らなければならないと、最近稽古にも身が入るようになった。

あの二人は純粋だ。

穢れ無き者は穢れないままがいい。
美しいモノは美しいままでいてほしい。


そのためならば―――我輩は・・・


いつの間にか回りは血だらけとなっていた。
残りの一人も心臓に一突き我輩の剣を受けて動かなくなる。
誰かが駆けつけるわけでもなく、新品の鎧が血だらけになったのを不愉快と思いながらも我輩には達成感があった。

「―――我が君主の道を遮る者は許さない」

そうだ。
今度こそ―――

今度こそ、あの気高き君主のために我が身を捧げるのだ。
もう二度と友<オリオン>に背は向けない。
彼が上を目指す以上、我輩もそれに答えるべきだ。
分かり合う機会を下さったシャルロット様も、我輩は守らなければならない。
なんせあの第一王子が我々の目を盗んで性欲に駆られるまま襲い掛かろうとするほどだ。
オリオンを狙った刺客もまた、増える以上、二人を傷つけようとする者はこのように徹底的に排除する。

「―――我ながらに犠牲の道を行くとは皮肉なものだ」

思わずそう呟き、手向けの花も無く死体から背を向けた。
昔は日に当たる道を歩きたいと願っていたのに、今ではオリオンが日の当たる道を歩んでくれるように日陰へ移動している。

それも、悪くない―――

汚れるのは我輩のみでいいのだから。
たとえそれが血だらけの道であろうと、ただ我輩は『彼ら』の幸せのために騎士を勤めよう。



―――これこそが・・・



「アーロンっ!見ろっ!見て驚けっ!見て喜べっ!見て泣いてくれ!」

嬉々とした我が主―――オリオンは子供のようにはしゃいで我輩を部屋へ通した。
その容姿や服装は以前に増して少しほど逞しくなったような印象があり、一切老けたようなマイナス効果は見当たらないのが悔しい限りだ。

こちらは最近気苦労が多いせいか、白髪まで出てきたというのに・・・―――

先ほどまでは今にも黄泉の川を渡りそうなほど狂乱していたのにも関わらず、今では本当に喜びの表情を浮べている。
本来ならばこのような身分であってもその立会いに参加する事は許されないにも関わらず、オリオンはそれすらも無視して我輩を部屋へ招き入れた。

暗い部屋だ。

しかし暗い赤で統一された部屋は目に優しく、その端に白い大きなベッドが周りの目を遮るように布で覆いかぶされている。
そこまで呼び出され、その入り口付近には汗を拭う支給人が喜びに満ちた顔で向かい入れてくれた。
覆い隠されたベッドを囲むその布の陰からシャルロット様の微笑を見て安堵する。
どうやら上手くいったようだな。うむ。良かった良かった。
そこへアーロンが這い込むように布に覆い、シャルロット様の影と重なるのを見る。
うむ。夫婦円満だな。少しばかり嫉妬してしまう光景だ。

―――そして・・・




「アーロンっ!僕の娘だっ!」




陽気な声で大事そうに抱えた『者』を我輩に見せてくれた。
今は泣き止んで、その穏やかな寝顔を見せてくれる。
それを我輩に抱かせよとするのだから、もう大慌てだ。
剣の使い方は知っているが赤子の抱き方など知らない。

そもそも知るもんか・・・っ!

「お、オリオン・・・様っ!私に王女様を抱く資格など―――」

そうだ。こんな血と罪で汚れたこの手なんかで・・・

オリオンが不思議がるように赤い片目を丸くし、もう片方は包帯はしていないものの空ろなその目すらも丸い。

そんな目で見るな。
理解しろ理解を。
一端の騎士なんぞに大事な王女を抱きかかえるなど前代未聞だぞ。
周りにいる支給人達の影響でいつものような口を聞けないのがもどかしいものだ。
思わず縋るように布で覆われて見えないベッドの方向へ呼んでみる。

「シャルロット様・・・っ!」
「―――あら?いいじゃない。アーロンはこの子の教育係りになるんですもの。対面がちょっと早いだけの話よ」
「わ、私に教育係など・・・っ!」

ただクスクスと笑うシャルロット様の声が聞こえる。

な・・・なんて能天気な―――

まぁそこがいいところと言えばそうなのだが・・・

ふいにオリオンは我輩をから目を下ろし、瞬きを繰り返しながら白い布に覆われた王女様を見下ろす。

「―――アーロンは赤子が嫌いなんだと。酷い話だな。こんなに可愛いのに・・・」
「ち・・・っ!」

違ぁ―――うっっ!

嫌いだなんて誰が言った!誰がっ!
お前はなんでそうやって人を悪者にするっ!
お前とシャルロット様の子供だぞ!
嫌いなわけないだろ!

そんな念が伝わったのか企んだような笑みを浮べるオリオンが憎らしいったらありゃしない。

「アーロン、ほら。見てご覧よ」

それでも我輩はついその白い布に覆われた赤子の顔を覗きこんでしまう。

・・・まるでお猿さんだが、しかし不思議と可愛いものだ。

「ねっ?可愛いでしょ?」

むむむ。なんだその陰湿的な笑みは。
そんなオリオンを睨んだ後、我輩は自覚できるような笑みを浮べた。

―――可愛い王女様

我輩がきっと守って差し上げますよ。

「ほら。僕の命令だよ。ちゃんと抱きかかえてね。アーロン」
「ちょっ!オリオン様っ!一端の騎士なんぞに大事な後継者を大臣達よりも早く真っ先に対面させた事を議会で取り上げられたりしますと徹底的に叩かれますぞっ!?そ、それに大事な王女様を早くシャルロット様の元へお返しし、私も任務へ戻らなければ部下達が怠けだし・・・―――」
「首はすわってないから気をつけてくれ」

少しは人の話を聞け―――っ!


それでもオリオンは強引にしてやんわりとその包みを我輩に託した。
しどろもどろに王女様を受け取るが、実際我輩もどうしていいか分らない。
ただその赤い顔を見つめていると、オリオンの陽気な声が我輩に言った。

「―――ほら、笑ってアーロン」
「そうはいいますが・・・」

ただ手に乗ったその王女様はどんな重剣よりも重く感じ、それはまるで命の重みを感じたような心地だ。
我輩にこうやって王女様を対面させてくれる二人方と、そして王女様の未来を想い、我輩はやはり胸が温かくなる。

―――それがたとえ日の当たらない道でも・・・



既に泣き止んでいる王女様。その小さな手が、我輩の指を掴んで離さない。
気のせいか。王女様が我輩に微笑んでいるような気がした。




―――初めまして・・・




そう確信すると、やはり笑みが零れるのだ。

推敲更新日

2007年10月05日

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